The Happy Prince


隣で眠る彼の顔を眺めるのが好きだった。
眉間に縦皺を刻むのがクセな青峰も、バスケをしている時と眠っている時はとても幼い顔をする。
短く梳かれた前髪をそっと撫ぜる。かたい手触り。
実はぱっと見よりはあまりおでこが広くないことを知っている。
それでもって綺麗な富士額だってことを知っている。
そしてそこに小さい頃転んで縫った傷跡があるのも知っている。
つむじが、二個ある。
てのひらはすごく分厚く乾いていて、涙が出そうになるくらいあったかいことを知っている。
足の親指より人差し指の方が長いことを知っている。
笑うと目じりがくしゃっとなって、とてもかわいいことを知っている。
その声が自分の名を呼ぶとき、途中までキスって言ってるみたいだなと思う。
そんなどうでもいいような青峰のさまざまなことを並べては、幸福感と優越感に溺れそうになる。
ただひたすらに、青峰が好きだった。

「青峰っち……くちびる、やーらかいっスね」
「はあ!?」

黄瀬が、青峰に初めて口づけた時、思わず出た言葉がそれだった。
正直今までお互い、バスケのこと以外はまったくと言っていいほど知らずに過ごしてきた。
正確にはどんなに黄瀬が知りたがっても、青峰は適当にしか答えなかった。
ちゃんと答えて欲しい、と抗議しても青峰は決まって「それを言ってどうするんだ」とあきれ顔をするばかりなのだ。
でも今ならば青峰の気持ちがわかる気がする。
どれだけ言葉を並べ立てて説明するよりも、見て触れる方がずっと伝わる。
バスケだってそうだった。

「こうだよ。やってみ」
「できないっスよおお〜! もっかい! もっかいやって! てかもっかいワン・オン・ワンやって!」

青峰とぶつかる度、みっともなく突き転がされて痣を作る度、パスで繋がる度、点を取って抱き合う度、何かがわかる気がした。
同時に、あと一歩で破れるほどに薄くて透き通った、そのくせして絶望的に強くて硬い膜があるような感覚に襲われて苛ついた。

(だからこうやって……安心したいだけなのかも)

たどたどしく何度も唇を押し付けあった時も、抱き合ったままどうしたらいいかわからなくて固まってしまった時も、しっちゃかめっちゃかになりながら青峰のものをようやっと受け容れた時も。
こんなことしたってどうせ、この人の全部は手に入らないんだろうなあと思った。

(なのに――)

「泣くほど、嬉しかったんスよ」
「なにが……」

思わず口をついて出た言葉に、舌足らずな低音がかぶさって、黄瀬は全身を硬直させる。
まだまどろみから完全に抜け出していないせいなのか、幾分か鋭さを潜めた青峰の瞳が、それでもしっかりと黄瀬を映し出していた。
それが嘘みたいで、身を引こうとするのが遅れてしまう。普段からまとわりつかれることが嫌いな上、暑いだの狭いだの言って数度自分をベッドから蹴落とした青峰のことだ、どうせまた頭突きでもされて近いと一喝されるのであろうと、とっさに目をつぶった。

「――!――!!!――!?!?!?」

訪れたのは衝撃でも痛みでもなく。

「あ、おみねっち」
「あん?」
「……へへ、くちびる、やーらかいっスね」
「バッカじゃねーの」

へらりと笑った口を、今度は噛み付くようなそれで塞がれる。もうそれだけで駄目だった。下肢がじんと痺れて、体の奥でかすかに揺らめいていた残り火が一気に燃え広がる。それでもなけなしの男の矜持だとばかりに応戦してみる黄瀬の舌を、青峰は嘲笑うかのように弄んで強く吸い、更に指できつく胸の突起を引っ張った。黄瀬の腰が大きく跳ねる。

「お前、ホンットこれ好きな」
「ち、っがうっス! 好きなのは、そっち、だろっ!」
「へぇえ?」
「んっ、く――!」

紅く存在を主張している尖りを、片方は指で摘まれ、片方は舐め転がされて歯型がつくほど強く噛まれる。それでも決して黄瀬は痛いとは言わず、むしろもっととせがむように胸を差し出すような格好になった。

「ほーら。見てみろ」

滲んだ視界に映るのは、いじわるく口角を吊り上げた青峰と、そんな彼にいいようにされてとんでもないことになっている自分の乳首。恥ずかしい。いつからこんなになってしまったのだろう。自分の体がどんどん青峰に馴染んでいく。どんどん青峰に変えられていく。
反応するはずもないようなところが感じるようになって、入るはずもないようなところに青峰がいる。

「――……おい、黄瀬」
「ぁえ? な、なんスか?」
「いっつも思うんだが、いてーんなら言えよ」

そうやって青峰が口をとんがらせてことさらぶっきらぼうにものを言う時は、気まずいって、ちょっと悪いなって思ってる時と決まっている。

「はい? え? え?」

ゆっくり頬を撫ぜられる感触に、そこでようやく黄瀬は自分が泣いていることに気付いた。
涙って本当に身体の中から出てるんだな、だってあったかさがまったくの一緒だもの――などと呑気に考えた後に、そういえば何故泣いているのかよくわからなくて、ちがうちがうと首を振った。

「痛くないっス! これはアレだ。セーリテキなアレだ! きっと!」
「どういうアレなんだよ」
「――っ」

ゆるく慣らすように腰を使われると、息がつまる。下腹が熱い。どう頑張ったって、どう慣れたって、やはり他人の性器が自分の排泄口を押し広げて入ってくるのは痛いしこわい。

「全然、ホント、ヘーキだしっ……」

それでも、黄瀬はいいと思った。
青峰ならいいと、思ったのだ。
それがどれだけのことかなんて、青峰に伝えたことは無い。伝えようとも思わない。ただ自分がそうしたかっただけだ。自分が、どんな手段を使ってでも、この身体を使ってでも、誰も知らない青峰を手に入れたかった。それだけだ。

「アンタらしくねースよ」

精一杯、腰から尻にかけて力をこめると、青峰が眉をかすかに顰めた。黄瀬はそれを見逃さず、できる限り気丈に、両手で己の膝を割り開いて青峰を睨みつける。

「相手のこと気遣ってるヨユーあんなら、いつもみたいに最後までちゃんとやれよ」
「……っハ!」

呼気ごと吐き捨てるような笑い。これはきっとバレているんだろうなあ、と目を閉じようとしたところで、思い切り前髪を掴み顔を上げさせられた。

「言うじゃねえか、黄瀬ェ」

そうやって凄む青峰の片手が、震えの止まらない自分の手に重ねられていることに余計に涙が溢れてしまう。
そんなことしなくていいのに。
乱暴にして欲しい。好きなように。ボロボロになるまでヤッてヤッてヤリまくった挙句にやっぱ巨乳のねーちゃんじゃねーとなーって言ってグラビア見始めても別にいい。(そりゃちょっとは傷付くけど)
俺が勝手に好きになっただけだ。だからアンタはいつ離れたっていい。

「ふっ、ぅあ、や、や、ぁあああ」

なのに青峰は時々すごく優しくする。気まぐれにキスしてくれたり、ワン・オン・ワンをいつもより五分長くやってくれたり、頭を撫でてくれたり。

(――あれ?)

揺さぶられながら、黄瀬は小さな違和感を覚える。のしかかる体の重み、鼻先をかすめる汗のにおい、くびすじに歯を立てられて思考が散る。

「デケェ口叩いたんだ。もう少し気張れや」
「ひっ、ん!」

もうこれ以上奥など無いと思っていたような深いところに、青峰の熱が突き刺さる。脚を限界まで開かされ、肩を抱きこまれた黄瀬は、汗でぬめる青峰の背に必死でしがみついた。

(あ、)

その時、青峰の五指が先ほど掴んだせいでボサボサになった黄瀬の前髪を梳いて、後頭部を包んだ。
正直なところ、日ごろは二人の間で恋人同士の甘ったるい触れ合いなど、ほぼ無い。
にも関わらずこの手の感触を、黄瀬はとてもよく識っている。
額をかすめる長い指は動きこそ雑だけれど、温かくて安心する。
そういえば、あれは何度目だっただろうか。もしかしたら初めて……いや二度目くらいかもしれない。あんまりにも青峰が激しいものだから、途中で完全に意識を飛ばしてしまったことがあった。それからどれくらい後のことだかはわからない。明け方の薄紫の闇の中、ふと気付くと誰かがゆっくり自分の頭を撫でていた。もちろん、そこには青峰しかいないはずだったのだが、その手があまりにも穏やかで、まるで自分を宝物みたいに触るから、ああこれはきっと夢なんだなと思った。願望が、うっかり夢に出てしまったんだな、と。

(あの手だ)

目を開けば、ちゃんと見てしまえばきっとすぐに触れることをやめてしまうだろうと、一生懸命目をつぶったまま追ったあの手だ。

「……おい黄瀬、まーた泣いてやがんな」

もう、違う、という短い否定の言葉さえまともに出ない。熱い涙は黄瀬の頬を伝って、青峰の浅黒い肌を濡らした。

「れし、だけっ、す」
「なんだって?」
「うれっ、うれ、しいっ、だけ、っスうっ!」
「泣くほど、か」

ずる、と鼻をすする音に、青峰が「オメー鼻水つけんなよ」と笑いながら言う。合わせた胸からさざなみのように届いて染み込むその振動が愛しくてたまらない。

本当は、自分だけに笑って欲しい。
本当は、自分だけを見て欲しい。

「あおみねっち、あおみねっち」
「ンだよ」
「俺、青峰っちのこと、すげー好き」
「なに今更なこと言ってんだか」



本当は、今もこの先も、アンタの隣に立ってるのが、自分であって欲しかった。



それでも目の前の青峰があまりにも楽しそうに笑うので、大好きなその手が自分を抱きしめるので、黄瀬はただ一緒になって笑って、それからまた少し泣いた。



END 20120904