「もうそろそろ誕生日祝ってもらうのも恥ずかしい歳になってきたっス」

照れ笑いする黄瀬は昔とあまり変わらない。と俺は思う。
けれどまあ、目じりの皺は少し増えた。
寝不足の時は目の下のクマがすごい。
髪の色は金じゃ無くなった。傷むもんな。
でもたまに白髪がカッコ悪いからって染めに行ってる。
それから――少しだけ、結婚指輪がゆるくなった。

『……男ってやっぱ若い女の子が好きっスよねえ』

ワイドショーのニュースで俳優のオッサンが一回り下の女と結婚したとか、嫁より十も下の女と不倫したとか見るたびにそう言う。

『まあ……そうなんじゃねーの』

俺は曖昧な相槌しか打たない。だってンなコト考えたこともねーから。
あ? おっぱい? そりゃ……おっぱいがデカイとどんなのでも目が行くだろ……。それはしょーがねーだろ……。おっきくてぽよんぽよんしてるものは追っちまうんだよ。俺って野性がスゲェから。
でも、それとこれとは別なんだって。わっかんねーかなあ。

『わっかんねーっスよ! バカ!』

黄瀬のふくれっ面はかわいそうだけどかわいいし、肩パンは全然痛くない。
「悪かったってば」「お前が一番に決まってんだろ」「愛してる」――そんなお約束な言葉にしばらくだんまり決め込んだあと、にへって笑うお前がチョロすぎてかわいすぎて、心配だぞ俺は。

「誕生日おめでとさん」
「うん、ありがとう」

二人になってから初めてのコイツの誕生日は、皆でバスケしてウチで飲み食いして――それから二人だけで祝った。
だから今でもなるべく夜は二人きりで過ごす。黄瀬はそれがいいって言う。
以前は集まっていた奴らも、家庭を持ったり、家族が増えたり、仕事や住処が変わったりして、一人減り、二人減り――、いつの間にかこの日に顔を合わせることは無くなった。それでも連絡は取っている。たまーに会うこともある。
こうして向かい合っていると、不意に俺たち夫婦だなって思う。
歳を取れば取るほど、飽き飽きするくらい顔を合わせれば合わせるほど、喧嘩をすればするほど、これが夫婦なんだって思う。
周りの人々の環境が変わって、少しずつ離れても、俺たちは変わらず一緒にいる。
お互いの外見が変わっても。お前が言うには――お前が、ただのオッサンになっても。(俺の方がもっとオッサンだろ。)
そして俺がお前の大好きなバスケの選手じゃなくなっても。

「――あのね、たまに……たま〜にね、今でも青峰っちが一緒にいてくれるのは惰性なんじゃないかって、心配になっちゃうことあるんス」
「ダセーって何? 俺と黄瀬が一緒いると何かダセェの?」
「うーわー……やっば……。そっから説明しねーといけねーんスかー……」

人のコト馬鹿を見るような目で見るなよ! 馬鹿だけど!
……黄瀬は悪さを申告する子供みたいな上目遣いで、「惰性っていうのはその、勢いっていうか、流れっていうか、毎日の……習慣、ていうか……」と。
???

「それのどこがいけねーんだ?」
「え、」

あ、今のダメな回答だったのか。黄瀬を傷つけたのかもしれない。未だにこういうところは全然治らない。治そうってその瞬間は気合入れるんだが、すぐ抜けちまう。ごめんな。
けどちゃんと説明すっから。その努力はする。するようになった。

「毎日の習慣の、何がいけねーんだよ。だってお前との生活が俺にとっちゃ当たり前なんだぞ? 朝起きて、お前起こして、バスケ教えに行って、帰ってきたらお前がいて、キスして、風呂入って、メシ食って、お前抱いて寝るだろ? それのどこがいけねーんだよ?」

……うん。今度は大丈夫だったみてーだな。あ、やっぱマズイ。泣きそうだ。

「俺といるのが当たり前で、普通?」
「お、おう……」
「へへ、そっか。なんか嬉しい」

――黄瀬はよく俺のことを「わからない」と怒る。
何を考えてるかわからない。どうしてこんなことするのかわからない。なんでそんなこと言うのかわからない。
俺からしてみたら、黄瀬だって――黄瀬こそわからない。
なんでそこで笑うのか。

「だってバスケみたいじゃないスか」
「だってバスケみてーなモンだから」

声が重なる。だけど俺には違和感がある。

「それだったら俺もなかなかのもんスね〜!」

ああなるほど。
お前も相変わらず馬鹿だなあ。
バスケと並んで笑うとか、馬鹿だろ。
比べるもんじゃねーけど、比べるような俺とお前じゃねーけど、それでも黄瀬、お前はもっと欲張ったっていいんだよ。
俺はお前と一緒にいること≠バスケみたいだっつったんだ。
いつの間にか現れて、気付いたら近くにいて、ずっといて、離れようとしてもくっついて、きっとこの先死ぬまで付き合ってくんだろうっていう。
それを「ダセイ」っつーのかどうか、俺は知らん。だってその言葉自体よくわかんねーんだからな!

「黄瀬」
「ふぁい」

たぶん涙目になったのを誤魔化そうとしてるんだろう。斜め下向いてケーキつつきながら、鼻声で返事する。その仕草も声も昔と全然変わらない。

「勘違いするなよ」
「?」

俺はテーブルの上に上体を伸ばして、下から覗き込んで、猫みたいにゆるくまるく握られた黄瀬の左こぶしを両手で包んだ。黄瀬はびっくりしたように顔を上げて、その拍子に涙をころんと一粒落とした。

「お前といるのは当たり前になったけど、お前そのものはとっくに特別だっての」

「むしろ現在進行形でランクアップ中だ喜べ」。と少々偉そうに言えば、こいつも調子が出るってもんさ。
「何スかそれぇ〜」って泣き笑い。まあ、結局は泣いちまうんだけどな。悲しいのじゃなけりゃ、いーだろ。
考えてもみろよ。俺とお前が夫婦な時点で普通じゃねーだろ。普通じゃねーから結婚したんだろ。
俺もお前も馬鹿で良かった。頭おかしくて良かった。

……本当はな、いつか礼を言いたいんだ。
俺にとって当たり前のものだと思っていたバスケの、当たり前のようにずっといると思っていた第一線から退くことになった時。
当たり前のように傍にいて手を握っていてくれたお前に。
その当たり前が、どれほど当たり前では無かったのかということを。
黄瀬涼太が俺にとって、どれほど当たり前に特別だったのかということを。
教えてやりたい。
お前が俺にしてくれたように。

黄瀬、お前があの時体育館の横を通ってくれて、俺を好きになってくれて、本当に良かった。

鏡の中の俺。目じりの皺が少し増えた。
筋肉痛が翌日に来るようになった。
髪に白いものが混じるようになった。
黄瀬と違って俺はめんどくせーから、そのまんまにしてる。
少しだけ、ほんの少しだけ、結婚指輪がゆるくなった。
それでも俺たちは夫婦をしている。
これからも変わりながら、変わることなく、夫婦でいる。
当然だろ?



20170618(黄瀬の誕生日によせて)