Hello


「お前の横顔、かっこいいね。」
三村は雑誌に載っている服を指差して言うのと同じような調子で杉村に言った。
杉村は箒を動かす手を止めずにどうも、と返す。二人は特に会話を頻繁に交わす仲ではなかった。今だって班割りの関係で掃除場所が一緒になっただけだ。
「姿勢がいいからかな。綺麗だよね。・・・俺は特にその顎から咽喉ンとこが好きだけど。」
さすがにここいらになると反応に困るものだ。振り返れば、開け放した窓の枠に腰掛けている三村のピアスが逆光に照らされてちらりと杉村の目を射った。
「ああ、ハハ、別にふざけてるとかからかってるわけじゃないんだけど。」
「・・・・・・・・・」
「そう思っただけ。」
言って窓の外へ顔を向ける三村の襟元を見ながら、杉村は口を開いた。
「三村は、」
彼独特の低すぎないハスキーボイスが埃っぽい空間を震わせるのがわかる。
「時々世界で自分一人ぼっちみたいな顔をするな。」
上手な言い回しではなかったけれど、それは確かに三村を驚愕させるだけの力があった。
一瞬、余裕ぶった笑みも忘れさせるほどの。
「なにそれ。」
鳶色の瞳は止まったまま、くちびるだけがぎこちなく動いていた。
「別に。そのまんまの意味だ。」
素っ気無いほどの平坦な声色のまま、また作業に戻ってしまった杉村の背中をぼんやりと眺めて、振り向け振り向け、と念じる自分がいる。
何が欲しいのかわからない。振り向いたらどうするのか、そんなことさえ考えずに振り向けとそればかり願った。
恵まれた体格、広い背中、真っ黒な髪と長い手足、節立った指。
別に美青年でもない、ごくごく普通の、どちらかというともっさりした容貌なのにかっこいい。
眼光が鋭いというか、目力があるっていうヤツなんだろうか。まあそうやって考えるとアレか、俺がかっこよすぎるから?毎日そんな自分を朝起きて一番に見ちゃってるから?だからまあこいつも普通にかっこいいんかなやっぱ。立ち振る舞いだとかそういうのもやっぱあるし。動きが滑らかで、だからいいのか。
なんて考えながらぽつぽつと見ていくと、どれだけよく杉村のことを見ていたかわかってしまって三村は心中で苦笑した。
こんな風に人を見ていたのは―昔、小さい頃、叔父をじっと見ていた以来だ。きっと。
あの男の全てに憧れていたから、なにもかもを覚えておきたいと思った。まるで今思うとあらかじめ失うことを知っていたかのように、ただ夢中で追いかけた。
そして新しく積み上がることがなくなってしまってからは忘れるような隙間さえないほどに思い出で埋めつくしたくて、何度も何度も幼稚なほどに思い出すことを繰り返した。
繰り返しすぎて、もう擦り切れそうだった。

「ほら。」

目の前に杉村のシャツが見える。いつの間に来ていたのだろうか。三村はゆっくり顔を上げた。杉村はなぜか少し眉を顰めていた。

「三村。」

ほんの微かに、苦さが混じっていたように聞こえたのは願望からだったのかわからない。

考え事をするときにいつも左耳に手をやってしまう。ピアスをいじるからだ。銀色のそれを弄んでいた手を掴まれる。

「掃除。」

埃のにおいよりつよく杉村のシャツから立ち昇る石鹸と太陽のにおいに頭の奥が痺れる。
ただただ硬く見下ろすその黒瞳に、自分が映っていることが可笑しいと思った。

「おう。」

そこでようやくいつも通りの不敵な笑いを取り戻したのに、杉村は。
あいつは俺の耳をそっと撫でた。銀の輪が揺れたのがわかる。そこに全部が集まってしまったみたいにびりびりした感覚に襲われて視界がまっしろになった。

ほら、まただ、と、言われた。





全身を熱い雨にうたれるような、体の中で棘の塊が爆ぜるような。肉が抉られ、ぱっぱっとあたりに血がしぶくのが見えて。人ごとのように終わりを悟る。
あーあ、死ぬのか。死にますか、俺。
呆気無いもんだなあ。

吹き抜けた風がピアスを揺らした。

耳朶を撫でるやさしさに涙がにじむ。
もう全部切れていたような神経がまだ生きていたことを知って、そして思い出す。あの時の指先の感触。冷たくて、とても熱かった。それがだんだん俺の体温に馴染む。あんまり気持ちよくて呆然とした。


『ほら、まただ。』


(俺、一人ぼっちって顔、してたか?)


振り向け、振り向け。


(今ならわかるけど。)


振り向いてくれたら。






(抱きしめてくれよ。)






うん、きっとそう言った。

でもほら、俺、今は一人ぼっちの顔じゃないだろ?どうかな。笑っちゃうぜ。お前のこと考えてるから。わかるか?俺もわかんねえよ。なんだこれ。なんなんだ。俺、俺さ。今気付いたんだけどマジで。







なあ、杉村。







俺、お前のこと好きだったんだ。







END



こいつらのこと、きっとずっと忘れない。