drop


ぽたぽたと軒を伝い落ちる雨だれの音をじっと耳を澄ませている花村の表情は、ひどく曖昧だ。
女の子がぼうっとしているのは、何を考えているかわかんなくて時々ちょっと怖いよな、そう呟いた彼だけど。

(何、考えてるんだろ。)

月森は額から鼻筋への滑らかなラインを視線でたどりながら思う。

(まあ俺も何考えてるかわかんないって、これまで飽きるほど言われてるわけだが。)

そういう時に限って別に大したことは考えておらず、本当に何も考えてなかったり晩御飯のおかずについて考えていたり斜め前の子の背中に糸くずがついてるのが気になってたり、そういえば冷凍うどん買い置きしておいたっけなあとか必死に思い出そうとしたり、大体がそんな感じだった。
花村もそうなのかもしれない。でもそうでない気もする。
ただ霧に隠れた町と同じくすんだ灰色がその丸くやわらかい瞳を覆うのは、なんだかひどく心地悪かった。

「花村。」

返事は無い。ただのしかばねのようではないのに。

「陽介。」

二人だけの時しか使わない呼び方で呼んでみる。

「え!?あ。何!?」

そこでようやくぎくりと全身を強張らせて、花村は月森の方へ顔を向けた。

「風邪か?」
「いやそんなコトねえよ?」
「熱がありそうな目、してる。」
「そんなこと、ねえよ。」

手を伸ばして触れる。
指先が額に当たる瞬間、花村は殺される寸前みたいにつよく目を瞑った。

「つめ、たっ・・・、」
「あつ・・・、」

二人の唇から同時に違う温度の言葉がこぼれ落ちる。
月森は加熱しすぎたマグカップの取っ手を掴んだようにすぐ指を離して、それから真っ赤に染まった花村の顔をまじまじと見る。

「緊張してるのか。」
「なんで!」
「だって、熱い。」

夏服のシャツの袖からむき出しになっている二の腕にてのひらを当てれば、鳥肌が立って肩が竦む。
それが決して嫌悪からではないことは明白だ。

「面白い。実に、面白い。」
「一人ガ○レオごっこしない!」
「陽介。」
「なんだよ!」
「雅治と俺はどっちがいい男だと思う?」
「知らねーよ!とりあえず雅治はカッコイイよ!」
「カッチーン。」
「口で言った!」
「あ〜。今度は眼鏡してる時にやろう。うんそうしよう。」
「そっ、それはちょっと、ヤバイ、かも!」

いちいち全力で返してくる花村に満足しながら、月森はベルトのバックルに手をかけた。途端に上がる制止の声も、手も、無視して払いのける。

「逢った時に、その目がすごく気になった。」
「えっ!?ええっ!?なにが!?」
「溌剌としててよく笑うんだけどさ、ふっとそれが失せると、すごく一人ぼっちみたいな顔をするんだ。」
「え?」
「空っぽみたいなんだけど、つまらなそうな、哀しそうな、何かを待っているような、求めてるような。」
「あ、ァ、ちょ、」

くびすじに歯を立て舐め上げながら後頭部の下から手を差し込んで髪を撫でる。少し癖があって、でも細くてさらっとした明るい髪。それを梳くのが月森はとても好きだった。

「物欲しげ、って、ことかよっ・・・」
「違う。・・・そうじゃなくて、ああ、そう、」
「こっ、こらっ、どこ触って・・・!」

手はあっという間にボタンを外し、先へ進み、中に着込んでいるTシャツを胸の上まで引っ張り上げた。「伸びるだろぉ・・・」情けない声。そんなことをまだ気にしていられることに少しばかり腹が立つ。
いつもそうだ。夢中になるのを懼れてる。

「我慢してるみたいで、気になった。」
「ひ、ァあ、ダメ、だって・・・、」

小さな突起を指の腹でこすってつまんで口に含むと、無意識なのだろう細い腰が揺れる。
花村の瞳は既に薄い涙の膜をかぶって淡く光り出していた。

「俺と二人の時は言え。」
「何、を・・・」

「欲しいもの。」

口にしてみて改めてわかる。やっぱりそうだ。
あれは求めて拒絶されることに怯えてる貌だ。核心のまわりをぐるぐる回る、無関心や無知を装ってる。

「抱いて欲しい時は、素直に抱いてって言やいいんだよ。」
「言えるかッ!」
「なんで。」
「なんでって・・・!は、ハズカシーの!乙女でなくともハズカシーの!」

月森は花村の茫洋とした眼差しを思い出しながら真面目に頷いた。

「なるほど。」

「俺は陽介が欲しがるものなら、なんでもあげたいんだけどなあ。」

驚いたような顔は泣き出す寸前の顔に似ていた。
彼は彼自身わからないくらい飢えていて乾いていて、なのにそれを満たされていると思い込もうとしてる。

「じゃ、じゃあ・・・ひとつ言っていいか。」
「どうぞどうぞ。」
「つ、つづき・・・」
「ん?」
「続き。はやく・・・しろよ!」

日に焼けた腕が伸びて月森を抱き寄せる。
熱い息が耳をくすぐる感触に、月森は昂りを抑え切れず目の前の鎖骨に噛み付く。あ、という濡れた音が軒から滴る雫のように頬へ落ちてくる。
そうやって少しずつ、でもたくさん欲張ればいい。
触れ合う肌はいつの間にか同じ温度になっていて、硬かった花村の瞳は口に含んだ飴玉みたいに甘くとろけていた。


END 20081017