月に咲く花


夜の黒より昏い闇の中に、いつも彼は独りたたずんでいる。
両手をぼんやりと体の横へ投げ出し、尖った顎をすこし上へ向け、くちびるを薄く開けて空を仰いでいる。

「何を見てるんだ。」

中空を射る瞳の色は金。
銀のスプーンにすくった蜂蜜を太陽に翳したような色。
人にあらざる輝きが細まり、開いていた口とそこから覗いた舌が微かな動きでもって答えを告げた。

「つき・・・、」

思えばその姿は月に中てられて咲いた花のようだ。
そんな風に当人に言えば、きっとむずがゆい顔をして気持ち悪がるだろう。

「どうして俺を呼ぶ。」

月森はこの場所の特定や脱出にはまるで興味が無かった。おおよその見当はついていたし、いつだって定刻には解放される。
確かなのは、月森が彼に導かれて、必要とされてここにやって来るということ。それだけだ。

「忘れそうになるから、」

顔に浮かぶのは歪な笑み。それでもそこには初めて対峙した時のような禍々しさは微塵も無い。
どちらかというと笑い方を習うのを忘れた子供のような不器用さに、月森も首を傾げて笑いかける。

「俺が、俺を、」

彼は彼自身を確認するように何度も何度もてのひらを握っては開いた。

「顔が、わからなくなるんだ、」

「前のガッコにいたクラスメイトも、小西先輩の顔も、」

あたりの闇にノイズが走る。ぼやけた顔の群集、騒がしい男子生徒、ゆるやかなウェーブのかかった髪の女子生徒、名前も知らない人、知ってるはずの人、人、人。
その中で形を保っているのは今目の前にいる月森だけだった。

「なんだか、あっという間に、薄くなりそうで、」

心の奥深くに押し込められていたであろう言葉はひどく重く軋りながらこぼれ出る。
おおよそ普段の彼からは想像もつかないほどに、澱んで、沈む。

「俺は、俺もあいつなんだよな。」
「そうだよ。」
「俺は、俺もお前の中にいる?」
「いる。今だって。」
「でも、いつか離れる。」
「それはわからない。」

そんなことない、と返さないところが月森らしいな、といつだったか苦笑いされた記憶がある。
たとえ彼が望むものがひとときの安息と塗り固められた嘘だったとしても、月森はそれを許さない。全てをそれにしてしまうことは簡単で、だからこそ容易く人を腐らせる。

「じゃあ、刻み付けて欲しい。」

彼の手には小さく鋭利な刃が握られていて、いつのまにか降り注ぎ始めた月光を受けきらめいていた。マジックショーみたいな気軽さで、彼は自分の襟首にそれを突き立て、ひと息に引き下ろす。なめらかな白い肌が、刃物に引きずられるようにして姿を現す。

「そうじゃないとバラバラになるんだ。」

底が見えそうなほどに透った瞳が不安げにぶれた。
出逢って、戦って、ひとつになった。彼は「彼」で、けど「彼」じゃない。

「消える。溶けちまう。俺の記憶が、あいつのものになってく。」

彼は「彼」の一部でしかなくて、「彼」のように全部になれない。

「あたまン中がぐちゃぐちゃになって、わからなく、わからなくなる。俺の中の月森が、俺の、俺だけの、なあ、俺、俺、俺、」

壊れたテープレコーダーじみた声は、不気味というよりあまりにも惨めですがる音に溢れている。

「だから、も一度、最初に逢った時と同じようにしてくれよ。じゃないと、俺もうすぐ消えちまう。ううん消えるんじゃないけど、でももう、もうすぐ、俺はきっと、」

彼は闘っている。毎晩毎晩、時の流れと自我の目覚めに手をひかれ、切り刻まれ、取り込まれ続けている。
それは本来の正しい、あるべき姿のはず。
そのはずだ。

「そうでなければ、俺が俺のうちに消して。」

なのに彼は抗っている。
散らばる破片を集めて繋ぎ、必死に留めようとしている。

「あうんじゃなかった。どうして俺とたたかったんだ。あいたくなかった。おまえじゃなければ、俺は俺でいられたかもしれないのに。俺は『俺』にすぐになれたかもしれないのに。」

月森の手にぐいぐいと冷たいナイフが押し付けられる。受け取ることは、しない。
ただ何も持たない手で、凍えた体を抱き締めるしか術は無かった。

「お前はお前だよ。―花村。」

その言葉は救いであったと同時に、どうしようもない絶望だった。
彼は月森の腕の中、仰のいて微笑む。
それは先ほどとは違うごくごく普通の、当たり前の人間の笑顔だった。
誰にも気付いてもらえずに朽ち果てるはずだった自分を見つけた人に抱かれ、花村の欠片はそうしてまた一つ夜を越す。


「なあ、月森。」



「お前も俺のこと、忘れるの?」



すきにならなくていい。




きえてもいい。




ただ。









わすれないで。








END 20081110



零〜月蝕の仮面〜のEDがあまりにも美しかったのでそんなイメージで。
NOISE神曲でした。ハードモードのゼロの調律より好きだった。