私もうぢきだめになる


政宗殿、と空気をぱっと弾けさせるように明朗な呼び声が響く。
その軽やかさにつられて政宗の目の色は丸みを帯び、それはまるで降り注いだ秋の紅葉を蓄えた湖面のように穏やかだ。


ただ、その手には既に血脂が幾重にも巻いて曇った刀が握られていた。


「おい幸村、ちィっと腕がなまったんじゃねえのかい?」
「なんと!それは政宗殿の方なのではありませぬか?このように―」
「ッ・・・!」
「怪我をなさるなど、らしくない。」

同盟を結んでずいぶん経っていた。今回は大きな盗賊団の退治役として幸村が北の地に呼ばれていたが、正直この程度であれば政宗一人でも鎮圧できたはずである。
ところが盗賊団の頭が実は政宗の母方の最上出の武将崩れだとか佐竹に関わっていた者だとかいう噂があったので、おおっぴらに伊達軍として旗を揚げるわけにはいかなかった。
数少ない精鋭の武将で、あくまで秘密裏に戦って殲滅する。
故に、政宗も幸村のいつもの派手な装束は身につけず、旅装の下に甲冑や篭手を着込んでいた。
近くの湧き水で二人汚れた鎧や具足を脱ぎ捨てて身を清める。

「よかった・・・血の割には創は大きくないようで。」
「はん。これしきどうってこたねえってのに。」

泉の際に連なっている岩のうちの扁平で大きなものに腰掛け、足をぶらぶらさせながら政宗は笑った。
時折水に触れた爪先に連れられて小さな水の玉が宙を舞った。
昨晩やたらと風が強かったせいか空気が澄んで、あたりの景色が一段遠くまで見渡せるようにさえ感じる。

「俺は戦ってる時、どんな顔してんだろな。」

最初は砂嵐のような隙間が時折意識に混ざりこむだけだった。
けれど一向に治まる気配は無く、むしろ次第にひどくなっていく。見えないはずの目が見たことのない景色を映す。
そこにいるのは、自分だった。
いつも自分が誰かを殺しているところだった。
刃を振り回し、肉を裂き、命を絶ち、血飛沫を浴び、咆哮している。
政宗は人間じゃねえみたいだな、と人ごとのように思う。
化物、だなんていうのは、聞き飽きた。
戦っていた相手がびくびくと痙攣をしてかたりと動かなくなる瞬間まで、政宗の右眼はその光景を見続ける。終わる前にどうしても、見たいものがあった。目を凝らす。
兜の影になった顔の、
その口元は―歪んでいた。

「しようぜ。」

おもむろに政宗が幸村の着物の襟を掴み、引き寄せる。
乱暴なぶつかり合いは、先ほどまでの刃の交わりの昂奮そのままに熱を帯びて留まることを知らない。
此処は外であるとか、このようなことをしている時ではないとか、そのような類の言葉が幸村の唇から放たれることは終ぞ無く、無言のまま独眼竜の体に牙を立て、穿つ。

「―ッ、・・・・・・!」

何もかもが同じなのだ、と彼は呟いた。
幸村の男根に貫かれている時も、誰かの胸に刃を突き立てている時も。

「気持ちいい。」

無理矢理に開かれ裂けた肉も、走る痛みも、漂う鉄錆と青く咽る性の香りも。
政宗は途方に暮れたように笑んで、咽喉を震わせ、隻眼を細めた。





一面、血の色。
紅く染まる地の果てに、広がる蒼。

「血塗れだ。」

幸村が独白じみた呟きを漏らす。
政宗は倒れている。
陣羽織に染み込む生臭い人の体液に構いもせず、じっと身を横たえている。

「血塗れだな。」

左の手を掻けば血と泥の交じり合ったものがぐちゃりと内臓を掴んだかと思うような音を立て、それがいっそ滑稽でどちらからともなく目を合わせた。

「幸村・・・ゆきむら、俺は、」

右手には、慣れ親しんだ愛刀。
その先から血脈のように侵食して行くのだろうか。
ゆっくりと確実に、神経を蝕む感覚は、恋に似ている。

「俺はもう直、だめになる。」

たまらなく、疼くのだ。胸が高鳴る。どうしようもなく昏く辛いのに、愛しい。

「最期はお前を殺したいなァ。」

無邪気な子供の願い事と何ら変わりのない響きで、笑顔で、政宗は言う。
そして幸村も、優しく頷く。



「本当に。」



「俺も、政宗殿を殺したい。」



END 20070228



タイトルは知恵子抄から。