猫になりたい


肩口にひりつく痛みを感じて、鏡を覗き込んだ。
未だおどろくほどに鮮やかな爪の痕が、斜めに走っている。
それと交差するように何本も渡っているのは、昔負った戦の傷だ。
もうどれがどれだかわからなくなってしまったが、色や感触で大体古いか新しいか区別がついてしまうのも物騒だと小十郎は一人苦笑いを零す。
まあ、戦の傷といえば、今ここに残るのも戦の傷ではある。
穏やかな褥の上での優しい交わりと随分かけ離れた、喧嘩や、半ば負かし合いのように激しい行為。
女のように細く華奢な指や爪とは異なる、鋭く、内から抉るように突き曳かれる五指を背に感じて、確か自分は笑ったのではなかったか、と反芻したところで頭を抱えた。

「―っふ・・・く・・・うあ、・・・いや、だっ!こじゅ・・・!」

すすり泣きながらの哀願。
主の細い体躯は小十郎と大樹に挟まれ浮いていた。
尻に潰されよじれた陣羽織の裾から伸びる足の先が、戸惑い地を求め幾度となく空を掻く。

「だッ、め・・・だ。ぁ、っ・・・ふ、ふか・・・すぎ、っ、ん、うぅっ!」

双腕で抱き挟んだ腰を容赦なく揺さぶると、溺れる寸前のように顔を仰のかせて唇を慄かせる。飲下すことを忘れてしまった唾液が、緩慢な動きでそこから溢れて顎を這う。
痙攣の収まらない半裸の肢体は逃げ場を求めて頼りなく悶えた。

「まだだ・・・まだ・・・。政宗様。政宗様だって、満足しちゃァいないでしょう。」
「も、もう、むりッ、だ!・・・くる、しっ・・・!」

政宗にとっては、すがるものといえば何も纏っていない小十郎のたくましい上半身の他に無い。
与えられる痛みと恐怖と快楽を、拒もうとしているくせに、結局より求める格好になってしまう。
熱い鉄串を下から脳天まで突き入れられたような痺れが、最早思考も奪おうとしていた。
剣を握ると、昂る。一旦火が点くと、刃を仕舞った後も、それは残る。

「たまには真剣勝負と行こうぜ、小十郎。」

そう言った、政宗が悪いのだと、そんな風に思った。

「ンんゃ、ああああ―!?」

恐るべきは竜の右眼の腕力、年甲斐も無く(とここはあえて言っておこう)無理な体勢での結合にも関わらず、小十郎は息もさして乱さずに政宗の体を今一度抱え上げて、落とした。
下腹をひどく圧迫していたものが抜けた―と一瞬安堵して息を吐こうとしたところで、最奥を焼かれ、政宗はひときわ高く泣き叫ぶ。

「やっ、やだっ、いやっ・・・ァああ、おく・・・っあつ、ィいッ!」

耳を穿ち抜ける、甘く掠れた声。
小十郎は、再び沸き起こる重い衝動をそのままにぶつけ、弾む白い肩に噛み付いた。汗の味が、舌に残った。
政宗はといえば、終いにはその声さえ失いかけながら、無我夢中で自分を犯す男の背に痕をつけるのが精一杯だった。



「・・・腰がいてえ。」

心なしか耳朶を赤く染めて唸った主を前に、小十郎は珍しくその背をすこし丸め端座している。
ちなみに政宗の朝起きての開口一番は、「あれ?俺ァいつ寝たんだっけ?」だったそうなので、途中から記憶が無いのかもしれない。
しかし何があったかくらいは、覚えているのだろう。
今は他の家臣もいる前ではあるし、二人はあまり視線を合わせないが、その家臣達の中でも、綱元は呆れ顔で笑いを含んだ挨拶を述べていたし、成実に至っては「それってやりすぎ?やられすぎ?」と無邪気に聞いて双竜の協力技を喰らいかけていた。

「お前って・・・たまに怖いよな。」
「・・・申し訳ありません。」

先を行く政宗の小さな呟きに、小十郎は心底恐縮して頭を垂れる。

「・・・謝ってんじゃねーよ。」

ぴたりと足が止まる。

「なあ、痕、残ったか?」
「・・・は。痕、とは。」
「・・・俺、引っ掻いただろ。」

右手の中指と親指を擦り合わせる仕草。ほんの微かに、爪が音を立てた。

「・・・・・・ええ、はっきりと。」

微笑んで言っているのは、おそらく声色でわかるのだろう。政宗が振り返り、睨み上げるようにして顔を上げる。

「俺も、残った。」

ここに、と己の肩を指差して、引き結んだ唇を崩し歯を見せる様はどこか誇らしげである。
挑発なのか、単純に言葉にしただけなのか、その境目のわからない言動だから、惚れるのだ、と小十郎はぼんやり考えた。
本当に、困ってしまう。女子供ならばいっそ優しくできるのに。
もともと自分が穏和な気性だとはこれっぽっちも思ってはいないが、それにしたって一番激烈な部分をこの主は引き出してしまう。

「申し訳ありません。」
「ホントはあんま思ってねえだろう。」
「政宗様・・・そんなことは・・・」

言葉は政宗の指に阻まれた。
昨日、小十郎に果敢ない仕返しを試みていたあの指だ。

「・・・ああいうお前も、嫌いじゃねえ。」

よく小十郎様は筆頭に甘い、と部下にからからかわれる(勿論、直接ではない)彼ではあったが、実際のところ甘やかされているのはこの自分なのだろうと、そう思う。

爪を立てても怒らない。
むしろ、それを望んでいる。どちらとも。
小十郎は、そのまま政宗を抱き寄せたいのを我慢して、「ありがとうございます」彼にしては甘えた声でそう言った。

END 20070328