群青日和


「小十兄ィちょっと年食ってるからって偉そうだぞ!?俺のこと呼び捨てだし!」

威勢の良い声が、からりと青く澄んだ空に響いている。

「あァ?それはお前が小さい頃『そんな言葉遣い気持ち悪ィ!』ってゴネたからだろうが。それともなんですか。今日からはこの呼び方の方がよろしいでしょうか成実様。」
「のーっ!すっごい気持ち悪い!」
「そうですか?成実様。」
「もういい!やめろって小十郎!や〜め〜!」

小十郎は耳を手で塞ぎわめく成実の頭を両手で挟み、中のものを振って確認するように揺らして笑った。

「・・・お前はここまで来てまで何やってんだ?Ah?成実。」
「あ、梵!おいっす!遊びに来た!」

そのまますぎる回答に、呆れた、という顔で成実を一瞥してから、政宗は小十郎の方を見もせずに早口で

「・・・おい小十郎、治水の件はまとめといたから後で目を通しておけ。それと例の書状は机の上!」

そう言って足早にそこを去った。
成実と小十郎は顔を見合わせて首を傾げる。小十郎は諦め混じりの苦笑い。成実の方は本当に意味がわからないらしく、今日あいつご機嫌ナナメなん?と呑気に尋ねてきた。

特段情念のこもった嫉妬なわけでは無い。嫉妬、という言葉さえふさわしいかわからないほどに幼い。だからといってやきもち、独占欲、我が儘。そのどれも違う気がする。
思案しながら小十郎は政宗が向かったらしき方へ歩を進めた。
このまま行くと厩である。政宗は時間を見つけては自身の一等の愛馬に会いに行く。世話をすると気が紛れるし、馬の澄んだ漆黒の瞳を見ていると落ち着くと言う。その気持ちは小十郎にもよくわかる。
藁と糞尿と獣のにおいの立ち込める奥州筆頭にはいささかふさわしくない場所で、政宗は馬の鼻面に顔を近づけて何やら語りかけていた。

「俺だってわかってんだ。いちいちこんなんしてたら駄目だって。」

「でもなあ〜」語尾が長く伸びて溜息と混ざり合う。

「あいつ誰にでも優しいし、人のことほっとけなくてすぐ面倒みるし、頼まれたこと嫌って言わないし、自分のしたいことや気持ちはあんま口にしないし・・・」

無礼と思いつつも小十郎の足は自然と止まり、耳を澄ませてしまう。
馬はくびすじをさすられる心地良さに目を細めて鼻を鳴らした。
政宗はそれを返事と受け取ったようだ。

「小言は言うけど・・・それとはまた違くてだな・・・―」

たもとをからげていないものだから、右腕を上げて馬の眉間を撫でながらそう言った政宗の表情や声は群青色のそれに阻まれて小十郎までは届かない。

「政宗様」
「―!?こっ、小十郎!?」

いつもながら思うがこの主は驚いても照れても怒ったような顔になる。小十郎も人のことを言えた義理では無いが、どうもお互いやぶにらみ気味な目つきに問題があるようだった。
なので照れ隠しに怒っても大抵の人には本当に立腹していると勘違いされる。

「・・・まあそれがわかるのは、俺だけで十分なんだがな。」
「What!?」
「いえ。成実が心配してましたよ。」

わかりやすく表情が曇った。あの無邪気で豪放磊落な従兄弟に悪気もその気もないことなど誰より一番政宗が知っているであろうに、それでもまだこの反応。いっそおかしくなってきて、小十郎の頬もつい緩む。結果更に政宗がしかめ面になるのはわかっていても、我慢できない。

「笑うな!不愉快だ!」
「申し訳ありません」
「謝るな!」
「これは困りましたな。どうしたら政宗様のご機嫌は直るのやら。」
「俺の言うことを聞けばいい。」
「言うこと、とはたとえばどういう?」

政宗は小十郎から目線を外して再び馬に向き直る。そして左手に掴んだ藁で大きなその体を拭き始めた。
いざとなると刀六本を振り回すだけあって、利き手でなくとも器用に動く。
ちからをこめた手の甲にまっすぐ筋が浮き出る様子が綺麗で、しばし小十郎はその白い手を無言で眺めていた。

「お前は俺のことだけ見てろ。」

ごく小さな呟きが落ちた。
そうだ。先ほどあげつらったものの根源はこれだった。嫉妬や我が儘というほど強くないのは、そのすべてのもとが不安だからだ。
自信があるくせにいつも不安。最後に頼れるのは自分と思いきわめながらも、誰かに見捨てられるのが怖い。
思えば政宗は小さな頃からずっとそうだった。本当に欲しいものに限ってその望みを口に出して良いものか迷った挙句、胸の奥に押し込めてしまう。
そのくせしてどうでも良いささいなことに関しては割合に好き放題言うので、結局はたからの評価は本質と逆のものになって行く。

「先ほど、小十郎は自分の思うことをなかなか口にしないというようなことを仰っていましたが」
「ばっ!きっ、聞いっ、てめ、小十郎!」
「は。申し訳ありませぬ。この小十郎、政宗様の独り言をたまたま通りがかった際に耳にしてしまいまして。」

こう馬鹿丁寧な言い方をされると政宗も嘘だと怒鳴ることもできずに黙る。

「しかしながら政宗様。それはどちらかというと政宗様の方だと思うんですがね、俺ァ。」
「んな、何が・・・。」
「そういうことはもっと言ってもいいんですよ。」
「だから・・・言ってるだろ!呆れられるくらい。我が儘だって・・・言われるくらい・・・。」

話すうち手が止まり、藁束がつよく握られた。
俯いた顔を馬が心配そうに鼻で探る。なまあたたかい鼻息に前髪を巻き上げられ、政宗はくすぐってえよとちいさく笑う。

「成実の前でだって、言ったらいいでしょう。」
「・・・成実は悪くねえし・・・。そんなん俺が言ったら「さっきの態度の方がよほど驚きますぜ。」

正論である。けれど、政宗にしてみればこの状況で成実を思いやる小十郎がどうにも我慢できなかった。

「もういい!もう、わかったから・・・」
「わかってません。」

言って小十郎は成実にしたように政宗の頭を両のてのひらではさんで無理矢理自分の方に向ける。

「こういうことは確かに他の奴にもしてるかもしれませんが。」

容赦なく揺らす。主に対する遠慮など微塵も無く。
やめると政宗は目を回したのか隻眼を忙しなくまたたいた。乱れた髪が一筋、目から頬にかけて落ちているのが妙に艶かしくてそそられる、と口にしたら一体どういう反応をするのだろう。
呆然としているそのくちびるにゆっくりとくちづける。

「こういうことは、政宗様にしかしません。」
「―っ・・・こ、の・・・タラシがっ・・・!」

目元を染め悔しそうに言う姿は誤魔化しも取り繕いも剥がれた政宗そのもの。

「それに、政宗様。」

抱き締めて背中をさすると、その骨ばった体がこまかく震えるのがわかった。

「俺が普段あまり望みを口に出さないのは、出したら手加減できないからです。」

四六時中そんなのは、困るでしょう?と意地悪く笑ってみせる小十郎に、政宗は肩を竦めて頷いた。

「なるほど。覚えておく。」



「小十兄ィ〜!ひまひまひま!一発打ち合いとかどうよ〜!」
「またか・・・成実。」
「おい成実!あんま小十郎ばっかにひっつくな!そいつは俺ンだぞ!」

とっさに叫んでからはっと口を引き結んだ政宗を見て、成実はにんまり白い歯を見せ、

「だよね!」

と親指を立てた。
今日も空は気持ち良く晴れ渡っている。


END 20070812