烏
俺の城の庭には烏が住んでいる。
忍なら忍と割り切って大体の奴らのように死んだような目をしていれば良いものを、その男は冷えた色のところどころにまるで火口のような熱い点を持っている。 彼の主と同じ烈火の如き激情が、時折其処から噴出する。 となるとどうしてもその瞬間を見たくなってしまうのだ。 ついでに言うならば、それが自分に向かってくるのを見たいのだ。
「まァた来てんのか。」
最近は気配さえろくに隠そうとしない。呼べば一度目は沈黙、二度目は木の葉を散らしたりつむじ風を起こしたり、三度目にしてようやく声で応える。
「うちの旦那がもうウズウズしちゃってさあ。 独眼竜の旦那の動きが無いかって毎日うるさいんだよね〜。」 「で、律儀に来てやってるって?ご苦労なこった。 あんなガキの主だと下につく忍も大変だなァ?」
二度ほどまみえた相手の顔を思い出す。戦いの最中は武将たる気迫と雰囲気を兼ね備えていたが不意に気の緩んだ笑顔を一度だけ見たことがあって、それは随分と幼かった。政宗の目から見ても、ただの壮健でくったくのない年下の青年といった風で血なまぐさいあれこれには全く関わりなさそうな。 だからこそ、この男のような忍がつくのだろう。あまりにも清らかなものの傍には、汚いところは一手に引き受ける。そういう奴が必要なのだ。―自分と違って。
「そうかなあ。俺にはうちの旦那も独眼竜の旦那も大して変わらないように見えるけど。 ガキってことに関しては。」
言ってくれる。思わずむっとして政宗は前方をただ睥睨していた視線を庭木の上へと上げた。 普段どちらかというと早熟だと言われそのような扱いを受けている分、慣れない子ども扱いには立腹するらしい。あからさまに顔に出さなかったものの、剣呑な目つきに忍がおおこわ、とおどけてみせるのが聞こえる。 本日の舌戦は気に入らないことに早くも忍に軍配が上がりそうだった。 ここ数回はこういうことが多い。向こうも学習したのか。
「周りに早く大人になれって尻叩かれて生きてきてんだ、こっちは。」 「アハハ、なるほど、それでこういうあべこべな御仁になるわけだ。かわいそうに。」
あくまで平坦な音でそんな言葉を口にする、彼の表情はどんなものなのだろうか。 政宗からは見えない。眼前には夏の昼下がりの、輪郭がぼやけてくるような光に照らされた庭が広がっているだけだ。視界が滲むように感じるのはそのせいだきっとそうだ。
「ああそうかもな。でもお前みたいな嫌われ者に世話にならねえ分、楽だぜ。」 「ありゃ、だってお仕事だから。したたかに生きるのが烏ってね。 嫌われ者がいなきゃ、世の中つまんないでしょ?」 「フン、それには同感だが。」 「それにさあ、俺だって上司は選びたいよ?」
くすくす笑う声はその割りに邪気の無い素直な響きをしている。別にどうということは無い。 今のは言葉の鍔迫り合いの延長線上の一言だ。なのに政宗は不意に黙り込んだ。 胸の下の、やたらと奥の方がぐ、と押されるように気持ち悪くなった。
「?」
急な沈黙と政宗の様子に、忍は少し困惑したようで姿を現そうかどうか迷っているのがなんとなくわかった。
「Ha!俺だって部下は選ぶさ。」 「あっは。だよねえ〜。俺達とっても合わないもん。 最近気付いたけど、俺と旦那、似てるから。」 「お前なんかと一緒にすんな。」
棘が増える。言うことに、声に、心臓に。 忍が自分のことを馬鹿にしてギャアギャア鳴く度に苛々が募る。こんなのはいつものことのはずなのになんだってこんなに。
「大体、いくら命令されたからって、そんな嫌いな奴ンとこいちいち来てんじゃねえよ。」 「お仕事ですから。」 「だから、」
仕事じゃなければ来ないのならこんなに頻繁には来るな。 嫌な仕事なのだったらこんなに楽しそうに喋って行くな。 そう言おうとして、政宗は愕然とした。 なんだこれは、なんなんだ。こんなのはまるで、まるで。
「無駄だから、もう来んな。」
まるで―恋だ。
政宗はそう思った。思った瞬間吐き気がして、身を屈めた。
「まァた来てんのか。」
相変わらず緩い存在感を垂れ流したまま、彼は木に留まっている。
返答は一度目だった。
「だーってこないだ旦那、イキナリ倒れるからさ。俺が毒盛ったって思われたらどうしてくれんのよ?うちの旦那も心配してたよ〜。 『某と戦う前に何かあっては困る!元気でお過ごし下されと伝えておけ佐助!』だって。 ほんとどこから突っ込むべきか悩んじゃうよねぇ。」
多分いつもだったら大笑いしていたに違いない。なるほど幸村の言いそうなことだ。 だが今は頬が引きつるように動いただけだった。
「Why?なんだって来る?」
乾いた咽喉と舌がその声を絞り出す。
「さあ。ねえ、独眼竜の旦那。」
「旦那はどういう理由だったらここに来るのを許してくれるのかな。」
これじゃあまるで、俺がいじめてるみたいでしょう。 そっと優しく、烏は初めてその羽で政宗の体を撫ぜて耳元で囁いた。
俺の城の庭には烏が住んでいる。 烏といってもそいつはやまあらしみたいな橙の頭で泥に塗れた間抜けな面だ。 けれどもとびきり狡猾なのだけは間違いない。
END 20060726
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