ギフト
慶次の背負っている荷物には大抵政宗の興味を引くものがひとつは混ざっているものだから、彼が訪れた際にすることといったら挨拶もそこそこにまず持ち物検査だ。 先日も黒漆に見事な白蝶貝と珊瑚の細工が施してある薬入れを、政宗は目を輝かせて掌に乗せて眺めていた。 なにごとにも目の肥えている独眼竜の嗜好を、もちろん慶次もしかと承知している。 だからこそはるばる奥州までこんな重たいものを運んでくるのである。 「あげるよ」とにっこり笑って上から手をかぶせてやると、隻眼がはっとしたように見開かれた。「いやそれは悪ィ」――すぐさま殿様の顔に戻る。安くはない、むしろ相当に高価なものを、なんの代価もなしにもらうのは彼の流儀に反するらしい。 自分がそんなことを思う権利など無いとわかっていても、慶次はいつもそれを哀れに感じる。 一国の主への贈り物には、きっといつも裏がある。政宗にとって贈り物というのは純粋な好意によって与えられるものではなくて、同盟を結ぶための無言の鎖であったり、機嫌をとるための媚であったり、何かを成し遂げた時に手に入れる証に他ならない。 それでも慶次は、なかなか温度を上げようとはしない細い指を無理矢理に曲げて様々なものを握らせた。
「へえ。こいつァ凝った作りの簪だ。」
本日竜の目にとまったのは、鼈甲と翡翠でできた一本の簪だった。
「だろぉ? 彫りが本当に綺麗でね。またその翡翠を使ってるところが渋くていいっていうか。」 「Yes.ここの金の台座も上品でいいな。」
互いに顔を寄せてあれやこれやと一つのことについて話すのはなかなかに楽しく、いつも気付けば軽く半刻は過ぎている。 夕暮れが近づくと急に冷え込む。まだ夏の気配も確かに残っているはずだというのに、既に夜は羽織をかけていないと体を壊してしまいかねない。 政宗が用意してあった羽織を纏うのを慶次もそれとなく手伝って、けれど会話は途切れない。礼を言う代わりに軽く笑み。それで充分だった。
「女の子はさ、やっぱり身の回りの小物とかってすごく喜ぶワケよ。」 「I see.お前はいつもこういうの使って女に言い寄ってンだな。」 「え〜っ!?人聞きの悪い言い方しないで欲しいぜ!」
でもほら、俺にも似合うじゃん?などとおどけて結い上げた己の髪にそれを差してみせるのを、政宗はいつもと変わらぬ表情で眺めている。 ただ眸だけが、すこしばかり尖った光を帯びていた。
「政宗はこういうのつける女の子って嫌いなの?」 「ンなわけあるか。俺達男にとって強いってことがstatusなように、女にだってあんだろ。もっと綺麗になろう、美しくなろう、って自分を磨くのは悪いことじゃねえ。」 「さすがの伊達男だなあ、政宗は。惚れるねェ。」 「Ha!褒めても茶以外なんも出ねえぞ。ま、もっともお前に惚れられても嬉しくねえけどな。」 「ひどいな。」 「ッ!?」
慶次は左隣に座っていた痩躯を軽々と引き上げ、懐に抱き込む。暴れる手足が何度か縁板や荷包みや体をぶっても問題は無い。獣と一緒でとにかく敵意がないということを示して無心に鼻先をつき合わせていれば、仕舞いにはすっかり大人しくなってしまう。 事実、政宗の悪態はまだちいさく続いているものの、全身での拒絶は僅かな間で終了した。
「俺はこんなに政宗のこと好きなのに。」 「調子の良い・・・。どうせ色んな奴に言ってんだろうがよ。」
好きだ好きだと、常日頃から挨拶のように向けられる言葉を本気だとは思えないのか。 そうではない。 本当は、それが重いとか軽いとかが問題なのではなくて、それが嘘か真かが知りたい。 それだけに違いない。 ついと目を逸らして横を向いてしまった端正な貌を斜め上から見やりながら、慶次の唇がやわく緩む。 怯えと、やきもち。 触れたくびすじ、絡んだゆびさきから果敢ない熱が痛切に訴えかけてくる。
「これ、政宗にあげる。」
流れる髪の間、戯れに先ほどの簪を差し入れてみる。傾く日の光を受けて艶やかに輝く蝋色の髪房に、深い琥珀と飴の混ざり合った鼈甲、繊細ながら力強い金、そして半透明の翡翠の玉が彩を添え、一気に華やかな様になった。
「いらねえよ。やる相手も今はいねえ。」
虫でも追い払うように手を振ってみせるくせに、相変わらず正直な眸だけは別れを告げる硬さ。
「そんなの許さないから。」 「え?」 「政宗が他の誰かに何かあげるなんて、許さねえよ。」
後ろ手に荷を探り、慶次が勢いよく取り出し広げて見せたのは―目にもまばゆい西陣の錦の羽織だった。
「なっ―!こ、こいつは・・・!」
一年に一枚、よくて二枚ほどしか手がけぬという有名な職人のものであることは、政宗のことなのですぐに気付く。何しろ彼が直々に文を送り着物を仕立ててくれと頼んだこともある相手なのだからわからぬはずが無い。 先方の返事はこう。「奥州の竜と名高い貴方様が、この京の都までお昇りになる際には喜んで引き受けましょう。」 決して田舎者と嘲笑っているのでは無く、期待と賛美さえ込もった言葉だった。その証拠に文には彼女が考えた図案が同封されており、それはまさしく政宗にふさわしいなんとも粋な柄で、目にした者たちの口からは最早感嘆の溜息しか出てこなかったものである。 あれから確か、ちょうど一年が経っただろうか。 目の前に広がるのは、夜空の深淵を切り取ったような黒に近いかち色から夏の青天の中心へと変わる濃淡。 その上に、金銀白水黄といった色鮮やかな錦糸でもってしぶく波間から羽ばたく千鳥と大輪の花々が描かれていた。
「知り合いのおばあちゃんでさ、なんか毎日政宗のこと話してたらこれもってけって。」
『慶ちゃんの話を聞いとると、本当にその子がええ子やってわかるわぁ。』 『そうさ。すごくいい子だよ。ちょっと素直じゃなくて、寂しがり屋で、乱暴だけどやさしくて、そんでもって人からただ愛されることに慣れてないんだ。』 『・・・・・・』 『はは・・・俺と一緒だよね。俺も夢中になって人を愛することがこわくなっちゃったから。まだまだ今は駄目なんだけどさ。』
『でも何かしてあげたいんだ。なんだってあげたいんだ。俺にできることなんかさァ、それしかないんだもん。』
ならば、と老婆は奥にしまってあったその羽織を持ち出してきた。 ―私が思っていたより、慶ちゃんは大きくなってたんやねぇ。そして今、北の竜の旦那はんには慶ちゃんとこれが必要みたいやわ。・・・本当はもっと時間が必要やと思うとったけど。慶ちゃんが傍におるなら大丈夫やろ。 そう言って丁寧に丁寧にそれを折りたたんでくれた。
―これで全部、包んでおやり。
出逢ったとき、ずいぶんと老け顔の子供がいたものだと思ったんだっけ。 慶次は呆然と錦を手にしたまま動かぬ政宗の頭を撫でる。 今にも暴走しそうな若さと野性を、ようやっと編み上げた青い轡でもって戒めている危うさ。 なにもかも手に入れたような顔で、なにもかも欲しいと喚きたてる。 飢えて飢えて泣き出しそうなその眸が、恋に輝くのを見たかった。 そんな綺麗なものじゃなくていい。嫉妬の炎でも、悲しみの涙でも、怒りの稲妻でもいい。歳相応の真実彼自身を、自分に向けて欲しいとそう願った。
「あげる。」
骨ばった体を抱きしめると、緊張に肩が竦んだのが直に渡ってくる。
「金、払わねえと・・・」 「いらないって。」 「んなわけにいくか!」 「いいって言ってたもん。俺に免じて出世払いだってさ。」 「!?Ah〜!もうっ!わけわかんねえぞ!」 「政宗。」
再びじたばたともがき出すのを時間をかけてなだめてやりながら、慶次はやさしく囁いた。 「なんでもあげる。政宗の欲しいものは俺が持ってきてやるよ。金なんかいらねえ。俺がしたいだけだ。俺が政宗にしたいだけだ。」
「・・・・・・・・・・・・」 「人はな。対価が欲しくて人に恋するわけじゃァねえのよ。」 「慶次・・・」 「うん?」 「クセェよ。」 「う〜ん。やっぱり?」 「・・・―お前の望みは、何だ。」
ここでようやく、政宗は慶次の顔を見上げた。もう隠しようもないほどに朱の上った頬と、興奮に淡く揺らぐ隻眼を隠そうともせず、尋ねてくる。
「政宗にあげることだ。」 「それだけか。」
「・・・そうだね。あと、政宗の傍に時々でもいられりゃ嬉しいよ。」 一瞬の沈黙。 だが竜の左目は更なる答えを求めて慶次を射抜く。それはおそらく、慶次がずっと求めていた光を宿した目の色だ。
「・・・政宗、俺と一緒にいてくれる?」 「言うの遅ェんだよ。」
朝方に弾けた蓮の花のように清廉な笑みでもって、政宗は笑った。 それはまるで神様からの贈り物だと慶次は思い、やっぱりクサいなと一緒に笑った。
END 20070910
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