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 「なぜ、このようなことを?」
 
 小十郎は不機嫌さを隠すことなく、けれど頭ごなしに叱り付けるようなものとは明らかに違う調子で尋ねた。
 元服したばかりの主、政宗がとある家臣をその自慢の爪でしこたま引っ掻いたのだという。
 しかもそれが次男を伊達の跡取りにしたいと願っている母方に付いていた親戚筋の者だった為、城ではちょっとした騒ぎになってしまった。
 
 「・・・・・・・・・」
 「政宗様・・・」
 
 小十郎に引きずられて自室に押し込められた当の政宗は、先ほどからずっとだんまりを決め込んで何があったかをまるで話そうとしない。
 確かにまだ若い主は気が強くやんちゃではあるけれども、わけもなく暴力を揮ったりするような傍若無人な性分では無いことを、彼の成長をずっと見守ってきた小十郎はよくよくわかっている。
 ましてや敏い政宗のことだ。母に与する者達の前では、いっそ幼子らしからぬ態度で決して己のほころびを見せぬように常日頃から十分に気を配っていた。
 
 「なのに、なぜですか?」
 
 相変わらず黒い尻尾だけが不機嫌に畳を叩いている。右へ左へとかたい音を響かせて揺れる尾に、小十郎は溜息を吐く。
 
 「・・・政宗様・・・」
 
 小十郎の哀しげな顔を見た政宗が、今にも泣きそうな表情で俯いた。
 月明かりに光る夜の湖面のような艶を帯びた耳がうしろに伏せられ、こまかく震える。
 言おうか、言うまいか、悩んでいるのだろう。
 小十郎はそんな政宗を少しでも安心させたいと、ゆっくりと手を伸ばし顎から喉もとへかけて撫でさすった。
 あまり他人に触れられることを好まない、また愛情を持って触れられたことのない政宗がこのようなことを許すのは小十郎だけだ。
 長い沈黙。
 蒼みがかった隻眼が細くすがめられ、宙を見据え、小十郎の瞳へと定められる。
 ようやくそこで頑なだったくちびるが開いた。
 
 「あいつ・・・小十郎のことを・・・っ、」
 「え?」
 
 まさかそこで自分の名が出てくるとは思っておらず、小十郎もつい声を上げる。
 
 「小十郎のことを、“あいのこ”って言いやがったんだ!」
 
 改めて口にして、再びその言葉に傷ついたらしい。政宗の眉間に一層深く皺が刻まれ、尖った糸切り歯がやわらかなくちびるの皮膚を押し歪めた。
 
 「そう・・・だったのですか。」
 
 小十郎の低い声音に、怒りと哀しみで一旦立った尾がまただらりと下がる。だから言いたくなかったのだと、健気な瞳が訴えている。
 
 ここ日の本の国に住む獣人。その種類は実に様々で、また種族によって掟がまったく違う。
 生活の仕方、食べ物、活動時間、上下関係のあり方―様々な事柄が種ごとに異なっているのだ。
 しかし共通していることもある。
 異種族同士の交配を良しとしないこと。
 禁じられているわけでは無いが、他の種の血と混ざれば混ざるほど身分は低く見なされる。
 逆に言えば農民などには交雑種がざらにいるし、推奨はせずともそのことを特に気にしない種族もいる。
 だが一方で異端扱いされ迫害を受けることも多かった。
 奥州伊達家は、誇り高い猫の一族だ。
 純血種こそが絶対、混血種は下賎の者。それが当たり前のこととして成り立っている。
 そんな中で、片倉小十郎という“猫”は混血にも関わらず純血である政宗の傅役に抜擢された。やっかむ輩がいないはずが無いことを、小十郎自身承知している。実際幾度となく侮蔑の言葉を受けて生きて来た。それでも恥と思ったことは無い。
 
 「小十郎はあんな奴らよりずっと強いし、アタマもいい。耳や尻尾だって、こんなにカッコいいのに・・・」
 
 政宗がそう言った瞬間、小十郎の、他の猫人よりは大きく毛の多い耳と先が鉤状に折れた尻尾が喜色を浮べたかのごとくぱたぱたと動いた。
 猫にはあまりないその動き。それも政宗は楽しい、不思議だと言っていつも嬉しそうに笑った。
 そう、小十郎がただ一人の主と定めた政宗がそう言うのだから、誇りにさえ思える。
 
 「政宗様・・・俺は気にしてませんよ。」
 「でもっ・・・!」
 「それよりも、この小十郎のことで政宗様にそのような思いをさせてしまったことが口惜しい。・・・申し訳ありません。」
 「なんで小十郎が謝るんだ!小十郎は悪くねえ!だって小十郎の方がいつも俺のことで―」
 「政宗様。」
 「―っ、」
 
 名を呼ぶことで続く言葉をやんわりと遮り、興奮に逆立つ髪をなだめるように撫でつけて、小十郎は政宗の体を抱き締めた。
 政宗は先ほども述べた通り由緒ある血統の純血種である。
 だが、黒かった。
 濡れた鴉の羽よりも、森の奥の湖の底よりも、月の失せた夜闇よりも、黒かった。
 髪も耳も尾も漆黒の者は猫人族の中でも忌み嫌われ、その毛色の仔供が生まれると縁起がよくないとされている。
 国の終焉を招く“禍つ根の仔”―
 政宗は、ただ全てが黒いというだけで、生まれた時から既に一部の猫の間で怖れられ―加えて病で失った右の目のために母親からも疎まれる羽目になった。
 幼仔にはあまりにも酷な環境であったと思う。
 
 (なのに、それには耐えて―)
 
 『今、何つった?』
 『小十郎のこと、何つった。』
 『俺の小十郎のことを、馬鹿にする奴ァ許さねえ―!』
 
 (俺のことでは怒るのか―)
 
 「ん。」
 
 気持ちが昂るあまりに小十郎は腕の中の政宗の首筋を舐め上げて甘く噛んだ。
 
 「はは、小十郎。くすぐってえぞ。」
 
 応えるように額や頬を押し付けてくる主と目を合わせて微笑む。
 時折食べてしまいたいほど愛しいと感じるのは、やはり自分の中に混じっている狼の血のせいなのだろうか。
 純粋な“狼”には実際会ったことが無い。もうこの国では絶えた血筋だとも言う。
 封印された神社の巻物には愛する者を食い殺したから後が続かなくなってしまったとあった。小十郎はそれを見て自分自身に恐怖した。自暴自棄になって日々を無為に過ごしていた。
 そんな時に巡り逢った腕の中の黒。眩しいほどの黒。
 彼にとっては一等素晴らしい色。他の誰がどう言おうとも、絶対のもの。
 そのためになら己が何色になろうとも、何にまみれたとしても、何が混ざっていたとしても知ったこっちゃないと思う。
 
 「小十郎。」
 「はい?」
 「小十郎は俺の小十郎だから・・・だから何だっていい。傍にいろ。」
 
 どこか不安げな、それでいてひどくやさしい覚悟にも似た響きを潜ませた声に、小十郎の尾がまたぱたりと跳ねた。
 
 
 END 20080227
 
 
       
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