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ちょっとした信号は常にどこからか発せられていて、単にこっちがそれを感知していないだけなのだろう。

幸村は鋭い政宗の横顔をぼんやりと見ている。

「もうすぐ雨だ。」

彼は一刻ほど前にそう言った。
なぜかと聞くと、少し考えて、お前の足音や声がデカかったからだよ、と。

「デカいと雨なのでござるか?」
「雨だと音や声が近く聞こえるだろうが。」
「そうだろうか?某にはよくわからぬ。なれどなんとなく炎の出が悪くなるゆえ、それでわかる。」

馬鹿真面目にそう言って振り回した槍からは、確かに湿った火打石を打った時のような小さな火花がちらついていて、なるほどこりゃあ便利だと政宗は呆れ果てた様子で言ったものだ。

「冬の雨は・・・」

語尾が濁る。

「あんま好かねェな。」

幸村は、今度はなぜかと聞かなかった。
ただ手を伸ばして白皙に黒々と冷たく沈む刀の鍔のふちを撫でた。
政宗の長い指がよくそこを確かめるように撫ぜているのを知っている。
それは決まって寒い雨の日で、雨粒が落ちる瞬間に似て微かな、しかしはっきりとした姿でもって幸村の脳裡に焼き付いていた。
だからといってどうということもない。
政宗がそのことで必要以上に苦しんでいる素振りもない。
癖と言うほど頻繁に反復もせず、不意に水底から湧き上がる泡のように浮かんでくる一つのかたち。

「何じろじろ見てンだ?」

無遠慮な視線をいっそ心地良さげに受け止めて政宗は笑う。

「いえ、」

うろたえるかと思った幸村はそのままひたと政宗を見つめ、真っ直ぐな瞳で続けた。

「政宗殿は、これまでずっと戦って来られたのだな、と思って。」

戦場に行って帰って来たなんてことでは勿論無く、その言葉には政宗の生きて来た時間に対するねぎらいと敬意が満ちている。

「Ha!何言ってやがんだか。たりめーだ。
じゃなきゃこんなとこでお前とやりあっちゃいねえよ。」
「なるほど。」

寒さのせいで青白く透る肌にくちづけて幸村は頷く。調子に乗るなと押し退ける腕は、随分とたやすく封じることができた。

「おいっ・・・まだ、昼ッ・・・」

熱いてのひらに炙られて、政宗の体はあっという間に温度を上げる。それが嬉しくてたまらないといった風に幸村が笑い、政宗はますます眉間の皺を深くした。

「実は雨男でござろう。」
「アァ?」
「政宗殿は、嵐やら雨やら雷やら、色んなものを連れてくる。」

濡れ、泥にまみれ、引き千切れても、記憶にあるのはいつだって凛と清んだ輝きの蒼。

「まっこと、困ったお方だ。」

汚れて傷ついても、次に逢った時にはすっかり綺麗になっている。
幸村と体を重ねても、何も混じることなく輪郭を保っている。

(それが本当は、少し憎い。)

眼帯がごどんと鈍い音を立てて床板の上に落ちた。
引き攣った皮膚を舐めながら、雨の雫が跳ねる音を耳にする。
彼の指が自ら無意識になぞったあとをたどり味わって、幸村は子供っぽく笑んだ。

「たまには思い出して頂けるだろうか。」
「調子乗りやがって。」

忌々しげに舌打ちした政宗が身を起こし、幸村を押し倒した。

「たまにはとか言ってんなよ、クソッ。」

最初は知らず知らず触れていただけだった。
それが意図をもって触れられるようになった。
だから触れることでお前を思い出すのだと、政宗は口にはしない。

ただ、いつも合図がある。雨の前触れみたいに。

ある日落ちてきて、ある日浮かんできて、そうしてそのうち一生離れなくなる。
そんな風になれば良い。


END 20090127