黄瀬が笑うと、全部が報われる気がする。
だから俺はこいつに何かしてやりてーんだなって思う。
コイツが笑うなら、笑ってくれるなら、なんだってする。
でもそう思うのは、きっと――これまで散々泣かせてきたからなんだ。

靴ゲットして、俺の希望で肉食って、それで充分だっつったんだけど黄瀬の気は済まなかったらしく、「欲しいバッシュは無いか」だの「あの服似合うんじゃないか」だのと何かしら買わせようとしてきて大変だった。要するに、やられっぱなしは性に合わないというか、自分も俺に買ってやりたいということらしいんだが、今べつに気になるシューズのモデルもねーし服は間に合ってるしでノーサンキューっつっといた。
てか何気にコイツ、さっき見たメガネ俺用にとか言って購入済みだし。
「だっ、だってあの時の青峰っちがカッコ良すぎてまたかけて欲しいから……。ただし、俺の前だけでお願いしたいっス」――なんて伏し目がちにもごもご言われた日にゃあその場で押し倒したくもなるわ。外だったからしてねーけど。(俺の黄瀬は俺だけのモノなので誰にも見せん。エロいのなんてもっと見せん。)家なら間違いなくしてたな。
……よしやっぱ帰ったらしよう。メガネかけてしよう。黄瀬にもレンズ入りのヤツかけさせて顔射しよう。する。ぜってーする。

「青峰っちなんかゾーン入りかけてないスか!?」

おっといけね。うっかりイメトレであっちの世界に行きそうになっちまった。
黄瀬は自分がつい今しがた俺の脳内でふにゃふにゃのとろとろにされて剥かれかけていたなど露知らず、びっくりした顔でこっちを見ている。その顔も可愛い。

「気にするな」
「ううーん……? うー……。マジでなんか欲しいモン無いないんスかあ? して欲しいコトとか」
「じゃあメガネプレイ」
「は?」

いかん。メガネ引きずりすぎだ俺。
しっかしお前も粘るな。さすがスタミナだけはむやみやたらとある男。スタミナあるっつーより、正しくはひいひい言いながらも最後まで食い下がる……どっちかっつーとメンタル面での持久力が強ェ気がすっけど。

「んー……、俺のしたいことでいいのか?」
「うんうん! もっちろん! あるならそれが一番いい!」
「ワン・オン・ワン」
「ん?」
「ワン・オン・ワン。してー、かな」

言ってマズったかと思った。このタイミングは果たして正しかったのか。俺でもそれくらいは心配する。言ったあとだけど。

「…………――――」

黄瀬は目を丸くしてる。

「あー。やっぱい「やろう!」

がっしり両手を握られて。見える。見えるぞ扇風機のように回る尻尾が。幻覚? んなこたァ知ってるよ!

「やろうワン・オン・ワン! 俺とアンタでバスケ!」

もろ手を上げてわーいとか言いつつの大ジャンプ。天井の低い場所で黄瀬がそれをやると大変なことになるんだが、幸いここは吹き抜けで、ありあまるほど上空にスペースがあるので何の問題も無かった。
よって俺はその黄瀬の歓びぶりを心置きなく堪能する。
いつも気にしてるはずの周りの視線なんてすっかり忘れた風にもっぺん大きく飛び上がり、あとは小刻みにぴょんぴょんと。そのたびにサラッサラの金髪が音を立てて広がって輝いて。それはもう大変な天使ぶりだ。
天使て。俺しっかりしろや。思わないでもないが、いい。俺はこういう時バカになると決めている。

「やった! やった! 青峰っちとバスケ! 青峰っちとバスケ! ワン・オン・ワン! ワン・オン・ワン!」

一通り歓びの舞を踊って満足したのか、黄瀬は俺の腕をぐいぐい曳きながら勢いよく歩き出す。

ワン・オン・ワン。
中学の時から途中途切れつつも続いていたそれをするのは、実は結婚してから初めてだったりする。

最近購入したブルーの国産車を駆りながらちらりと助手席の黄瀬を盗み見ると、この上なくご機嫌な様子で目を輝かせて、子供みたいに「まだかな、まだかなあ」なんて肩を揺らしてやがる。まったく……。
――可愛いだろうが!
脇見運転したら大変なんだぞ! 俺がガン見できる時にやれそういうのは!
黄瀬が楽しそうなのは何よりだけどな。
そんなことを考えていたら、あっという間に目的地へ着いてしまった。
俺らなじみのストバス場。近くのコインパーキングに車を止めると黄瀬は大喜びでメガネを外し、ジャケットを脱ぎ捨てて、トランクに常備してあるボールを取って走り出す。おいおいそんなはしゃぐと転ぶぞ。なんて心配するようになった自分に驚きだ。

「青峰っち! 早くー!」

コートが見えた途端、弾んだ声と共にボールが飛んで来た。

「わーってるって!」

俺はそれをキャッチして、黄瀬と向き合う。
バスケが俺たちにとってどれほど大切なものかなんて言うのは、きっと世界中の誰にもわからない。
二人を繋いで二人を隔てた一個のボール。
手になじむそれを何度かついて、俺はうんと頷いた。

「よーっしゃ。行くぞ。ほどほどんトコで切り上げるからなー」
「うっス! さあ来い!」

黄瀬はバスケ部を引退してモデルと学業に専念するようになってからも、トレーニングを欠かすことなく続けている。
さすがに大学でガンガンやってた頃よりは筋肉も落ちてしまっているが、それでもコイツだって天才って呼ばれてたプレイヤーだ。
高校時代より遥かにキレの増したターン。爆発的な加速力。人の技を瞬時に吸収して、そこへ更に自分のオリジナルを乗っけてとんでもねえトリックに進化させちまう閃きと柔軟さ。
海の外のヤツだって誰も持ってない、黄瀬だけのバスケに胸が躍る。

「ッハ! もちっとなまってるかと思ったけど、まだまだやるじゃねーか!」
「ったりめーっスよ! アンタに『弱くなった』なんて思われちゃたまんねースからね!」

視線がぶつかるとマジで火花が散りそうだ。
金にさえ見える琥珀の両目。俺を見据えるその光。
これだ、って思う。
テツとも、火神とも、誰とも違う。
苦しくて嬉しくてムシャクシャしてワクワクしてわけわかんなくなってもっと欲しくなる。

「上等だ、黄瀬ェ!」
「覚悟しろよ、青峰っちィ!」

そんなやりとりさえあまりにも懐かしくて、俺は多分スゲェ笑ってたと思う。



三十分ほど夢中になってボールを追っていただろうか。
ゴール前でしばし膠着状態になり、黄瀬がいざ俺を抜こうと前傾姿勢になった瞬間、その体が不意に落ちた。
落ちた、としか言いようがない。
まるで膝裏をスコンと一発やられたみたいに、おもむろに重心が崩れて沈む。
俺はとっさに黄瀬の名を叫んで手を伸ばした。
数瞬遅れて、視界がぐるんとひっくり返って、背中と尻に衝撃。

「――っ、た」

黄瀬の身体は無事仰向けに倒れこんだ俺の上に着地したらしい。俺の上にかぶさる熱と重みに思わず安堵の溜息を吐く。
鼻先に嗅ぎなれたシャンプーの香りがした。
同じの使ってるはずなのに、俺とこいつは似ているようでいて違うにおいがする。

「オイ、大丈夫かよ」

まるく見開かれた目と俺の目が合う。
と、なぜかその宝石みたいに大きく輝く瞳がみるみる潤んで歪みだした。

「あ、おみねっち……! なに、何やってるんスか!」
「ちょ、コラ! 待て暴れるな!」

軽くパニック状態で俺の上から退こうとがむしゃらに手足をばたつかせるもんだから、ひどく危なっかしい。
もう薄暗くなってきてるし人気の無い場所ってのもあるけど、今はそういうことを気にしてる場合じゃねェ。
俺は上体を起こして黄瀬の腰と肩に腕をまわし、頭を抑え込んで、低い声で「黄瀬」と唸るように呼んだ。
それでようやく、腕の中の嵐は少し収まった。
まったくなんなんだ。

「ど、どこも、痛くないスか」

一見華奢だが大きく白い手が、懸命な様子で俺の体のあちこちをぺたぺた触る。

「なんともねーよ。ぜんっぜんヘーキだ」
「どっか、ひねったりとかは、」
「してねーよ。どんだけ軟弱なんだ俺は。お前より断然デケー奴のファウルなんて向こうでガンガン食らってたんだぞ」
「っ、でもっ……!」

黄瀬は言葉を掴み損ねたみたいに何度も唇を震わせて、それからようやく、細い涙声をしぼり出した。

「青峰っちがケガしちゃったら、おれ、おれっ……――」

多分、想像して怖くなったんだろう、かろうじてその綺麗なまなじりで踏みとどまっていた涙が、一気にぼろぼろとこぼれ落ちてくる。

「あーあー泣くな泣くな。お互いなんともねーんだから。」
「そういう問題じゃなく! こんなことして、もしケガしたらどーするんスか? なんでこんなことするんスか……!」
「ケガしてねえんだからいいだろうが。――大体、それでお前がケガしてたらどーすんだ!」
「はあ!? 俺はっ……俺は別にいーんだよ! でも、青峰っちはそうじゃねーだろ!?」

俺はようやく黄瀬が何を言いたいのかを理解する。頭にのぼりかけていた血がすうっと引いていくのがわかった。
危なかった。俺はこいつに一番言わせてはいけないことを言わせてしまうところだった。
大きく息を吐く。俺なりに、言葉を選んで。

「あのなあ、黄瀬。お前の言いたいことはなんとなくわかる。……俺は今、バスケを仕事にしてるし、そうすると体は商売道具なワケだ。けどそれはお前もおんなじだろ。見た目が命のモデルさんよ」
「それとこれとじゃケガの意味合いが……!」
「違うか? お前は俺がバスケの選手だからケガして欲しくねェのか? 俺がサラリーマンだったら、転んで足ひねっても心配してくんねェの?」

黄瀬が驚いた顔でぶんぶんと頭を振る。「そんなワケないじゃないスか!」って。そうだろ。そうだよな。
――ああ、俺だって、実際はそういう問題じゃないんだってこと、本当はわかってる。こんなのただの屁理屈だ。
バスケットプレイヤーの怪我と、モデルの怪我。どちらが直にその“生命”に響くのか――。
黄瀬の言いたいことは要するに、そういうことなんだろう。

「……だから、俺もイヤだ」

なのに俺は今とても卑怯な手口で黄瀬の口を塞いでる。
俺を想ってくれるお前の一生懸命さを利用して、お前の動きを封じて、うまいことその場へと縫い止める。そういうズルいやり方を俺はするようになった。

「単に俺はお前がケガしたらイヤなんだよ。家族がケガするトコなんて、誰も見たくねーよ。苦しんでるトコだって」
「……家族」
「だろ」

言って俺もああそうだったと思ったけど。家族なんだぜ俺たち。うわあスゲーなこれって。家族なのか。そうだよな俺たちケッコンしたんだしな。
どうやらそれは黄瀬も一緒だったようで、みるみるうちにその顔が真っ赤になって、笑みで満たされていく。

「うん……」
「わかりゃいい」

頭を撫でると、ようやく安心したのかその体のこわばりが解けて、素直に俺へと寄りかかってきた。

「けど、その、約束して欲しいっス青峰っち。無茶だけはしないって」
「……努力する」
「あやしいなあ」
「お前のことに関しちゃ、俺、なにするかわかんねーし」
「……何ソレ」

そう唇を尖らせて頬を赤らめる黄瀬の手を取り立ち上がる。腰に手を回して、抱きかかえるようにして。
「だいじょぶっスよ」その笑顔はいつもより幾分か弱々しかった。
何か、言ってやりたかった。
でも、俺が言ってはダメだと思った。

「帰り、コンビニ寄るか」
「コンビニ?」
「アイス、買って帰ろうぜ」

俺たちが中学時代にいつも、部活帰りそうしたように。
季節はまだちょっと早いけれども、それくらいは許されるだろう。
黄瀬を助手席に座らせてから俺も運転席に乗り込む。
膝の上にバスケットボールをのっけて、それを撫でる黄瀬の手を、俺は握った。

「青峰っち」
「ん」
「ありがとう――」

多分、そのあとこいつは「ごめん」と言おうとしたと思う。俺はそれをさせなかった。

「へふぁっ!?」

やわらかくてすべすべな両頬をむいっと引っ張る。「なにするんら〜!」という間抜けな声に安堵してゲラゲラ笑う。
本当はキスしたかった。無駄な思考も、言葉も、抵抗も、全部全部奪い取りたい。だがここは車内とはいえ“外”だから、こらえるしか無い。

(――ごめん、なんて言わせるかよ)

何も悪くないのに。誰も悪くないのに。どうして。

どうして――?

多分、黄瀬自身が一番、ずっと、ずっと繰り返した言葉だろう。



黄瀬はもう昔のようにバスケができない。



けど俺はそんな黄瀬の傍にいることを選んだし、黄瀬は俺の傍にいることを選んだ。
好きだから。
好き合ってるから。
だから、謝んな。

「青峰っち――?」

ぱちり、まるい瞳が瞬く。
いけねえいけねえ。俺がこんなことでどーすんだ。

「ブーツ、履くの楽しみだな」

今度は指の背で、さっきつまんで少しだけ紅くなった部分を撫でながらそう囁くと、黄瀬は涙目で深く頷いて笑った。俺もつられて笑い返す。

「次また青峰っちと一緒に出掛ける時におろすね!」

約束、と絡ませてくる指の、そのぬくもりが幸せだった。

「おっしゃ。嘘ついたら俺千本のーます」
「青峰っちの何を!? 何をのまされんスか俺!?」

俺はまた声を上げて笑う。
そうするとやっぱり黄瀬も笑う。

黄瀬はもう昔のようにバスケをしない。できない。
どうしてそうなったのか、どうして俺達がこうなったのか、それについての話はもう少しあとですることにしよう。
今は最愛の嫁さんをいかに甘やかしてやるかを第一に。

「ん? おい、見ろよ黄瀬」
「はい?」
「あれあれ」
「あ。わぁ……!」

二人並んで見上げた空には、小さな光。
一番星が光っていた。

「帰ろっか」。その呟きに「おう」と応えて。
俺たちは一緒に家へと帰る。
俺と黄瀬、歪で不器用で――でもどうしようもなく愛し合ってるヘンテコな夫婦の住む家へ。






20140926 You are my shining star.