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五合ほど打ち合った時点で、火神は悟る。


この戦いは――敗北する(まける)。


得物の双剣を受け取っての最初の一撃は、いけると思った。
だが追撃しようと振りかぶったところに襲い掛かってきた胴払い。それをすんでのところでかわした瞬間、臓腑が吹き飛んだような錯覚に背筋が凍った。
にも関わらず、腹の底からこみ上げて来たのは恐怖よりも悦びと敬意だった。
かつて剣豪・剣鬼・剣聖と称されてきた人々のように、究極の域に達した男の、これが本当の力なのだ。


「ス……ゲェ……」

二人の剣戟は最初こそ暴力的な苛烈さに満ちていたが、時が経つにつれ、静かで研ぎ澄まされたものに変わってゆく。
互いの呼吸を読み、互いのみを見つめ、烈火のごとく撃ち込み、稲妻のように切り返す。それは美しい舞にも似た応酬だった。
人々は息を呑んでそれを見守る。「人間じゃねえ……」と誰かが小さく呟いた。「どっちのことだ?」と誰かが訊いた。「どっちだっていいじゃねえか――今そんなの関係あるか?」

「ヒデェもんだ、剣術の基本が何ひとつなっちゃあいねえ。ああでもまったく、反吐が出るほど――綺麗だぜ」

観客席の一番上段で、白い軍服の青年がひっそりと溜め息を吐く。

「なんやあ、お前さんも来とったんかいな笠松」

そんな彼に声をかけたのは、黒い軍服に身を包んだ男である。

「今吉か……。まーな。つかお前こそ来てたのかよ。いいのか、アレ。止めなくて」

顎をしゃくって指し示しつつも、笠松は随分と楽しそうだ。少なくとも今吉の目にはそう映る。

「ん〜……いくら部下やからって、プライベートにまで口出すのは野暮ちゅうモンやろ」
「違いねェ」
「来年もこんな風にできるとええなあ」
「…………そうだな」


黄瀬と黒子は、何も喋らなかった。黄瀬は口元に笑みを湛え、黒子はその瞳に薄く涙の膜を張り、青峰を、火神を、彼らの流星のような輝きを一瞬たりとも見逃すまいと見つめ続けた。
逆手に持った双剣を自在に操る火神には、黄瀬も散々苦戦した。ところが青峰は子供の背丈ほどもある大太刀で、それを簡単にいなしてしまう。
まるで魔法だ。はじめて目にした瞬間から心を奪われた青白い剣光。
できることなら、このままずっと見ていたい。
だが永く短い夢のような時間は、唐突に終わりを迎える。
紫電一閃、青峰の強烈な斬撃が、二人の間に火花を散らした。

「アイツ……火神の剣をはつり≠竄ェった!」

青峰の刀が、火神の剣身を削り取ったのだ。銀糸と化した鋼がはらはらと散る。火神がほんの瞬きの間ほど、それに気を取られる。


「仕舞いだ」


「火神君!」
「青峰っち!」

ど、と火神は地に膝をつき、ゆっくりと顔面から大の字に倒れ込んだ。

『――し、勝者! 青峰大輝!』

割れんばかりの歓声に混じって審判が救護班を呼ぶ声が聞こえ、黒子の顔が青ざめる。「火神君!」

『安心しろ、峰打ちだ。あ〜、チクショ。連戦でくたくたのヤツ相手しても、こちとら勝った気がしねーっての』

黒子は「峰打ち」の言葉を確認するや否やすっ飛んで行ってしまった。黄瀬はほっとしてその場に座り直し、再び青峰の声に耳をそばだてる。

『……だからこの勝負はノーカン……お預けにしといてやるよ。ありがたく思え、火神』

青峰の声に、突っ伏していた火神の縞々しっぽがぴくりと跳ね、右手がにょきっと突き出された。マイクを寄越せと言いたいらしい。

『くそぉ……ムカつくこと言ってんじゃねーぞ青峰ェ……』

ヨレヨレの声と素直な火神の感想に、どっと笑いが巻き起こる。そこで更にシュールな顔立ちをした謎の白いオバケが乱入してきたものだから、会場から先ほどまでの緊張感はすっかり消え失せてしまった。きっと今頃、桃井は胸を撫で下ろしていることだろう。
黒子の肩を借りた火神は、しかし素晴らしく清々しい笑顔でこう言った。


『次はぜってー勝つ! また、やろーぜ』


『皆さん、本日はご来場ありがとうございました。楽しんで頂けましたでしょうか? どうか当闘技場を今後ともよろしくお願いします。 ――でも今晩はこれだけじゃ終わらないわ! お祭りなんだから、飲んで歌って騒ぐわよー!』

審判役だった短髪の女性が叫ぶと、上空に季節はずれの花火が上がり、さっきまで火神と青峰が戦っていたステージには楽団が現れて音楽を奏で始める。
闘技場のコンコースに並ぶ店からも、一斉に呼び込みの声と良い香りが漂い出した。

「きーせ」
「うわわっ! あ、青峰っ――ご、ご主人様、いつの間に!?」

相変わらずとんでもない俊足だ。今しがたステージ側にいたはずの青峰は、手に刀をだらりと携えてそこに立っていた。フードを被って顔を隠してはいるが、当然ながら周りの人は青峰だ青峰だと沸き立っている。

「動いたら腹減った。ここの食いモン運営委員の奴らのおごりだってよ。行こうぜ」
「は、はいっ!」

とは言え今日一番の英雄を、皆が放っておくはずが無い。道中もひっきりなしに握手や乾杯を求められ、肩や背を叩かれ祝福の言葉をかけられる。

「青峰の峰打ちだから青峰打ちだって言ってたっスねあのオジサン」
「どーいうこった……。たかが峰打ちに俺の名前がつくなんてダセェにも程があんだろ……」
「えーでもカッコ良かったなあ。ズバーッ! 安心せい、峰打ちじゃ……って!」
「そんな時代劇調には言ってねえ」

あまりにも不本意そうな青峰の様子に、黄瀬は思わず声を上げて笑ってしまう。すると青峰も耐え切れなくなったかのように笑い出した。
下層に近付くと、よりにぎわいが増してくる。弾むフィドルやアコーディオン、陽気なドラムにパーカッション。人々は手に手をとって踊り出し、リズムに乗って自然と黄瀬の尾も揺れる。

「アイリッシュだっけか。ハロウィンてのは元々ケルトの祭りだったっつーしな。好きなのか?」
「う〜ん? うん。好き……かも。オレ、あんまりこういうの聞いたこと無いんス」

檻での授業や金持ちの娯楽としての音楽に接する機会はあっても、ごく普通の同じ年頃の子供らが聞くような音楽にはとんと縁が無いまま過ごしてきた。それでも黄瀬は音が好きだった。雷は苦手だけれど、雨風の音や鳥のさえずり――閉ざされた建物の中ではそういったもので季節の移ろいを感じることができたからだ。

(ご主人様と暮らしてるとたくさんいい音がする。……青峰っちはいい音の塊だ)

腹に響くバリトンボイスと力強い胸の鼓動は、きっとどんな音楽より自分を痺れさせる。

「……踊るか」
「ええっ!?」

まずこういったことは嫌がりそうな青峰からの誘いに、黄瀬は素っ頓狂な声を上げて尾をボボンとふくらませた。
もしかしたらこう見えて青峰も気分が昂揚しているのかもしれない。

「嫌ならいいぞ」
「いやいやいやいや! いやその嫌じゃなくて! やる! やるます!」
「やるます?」
「やります!」
「よし」

じゃあ、と青峰は黄瀬の手をとる。
ダンスならば手を繋いでいても何らおかしいことは無い。皆今を楽しむことに夢中で、青峰が入ってきても「ようこそ」と歓迎の声を上げ笑顔を見せてそれで終わる。黄瀬も仮装した青峰の連れあいとして、ごく自然に迎え入れられる。

「黄瀬」
「はいっ! ご主人様っ!」

ステップなどでたらめだ。でもなんだっていい。誰も気にしない。踊らねば損だ。こんな楽しい夜なのだから、楽しまねば損だ。


「俺も楽しかった」


「今日はお前のお陰で、俺も楽しかったぜ」。そう言って青峰は少し照れくさそうに笑った。
それはどんなお菓子よりも甘く、どんな悪戯よりも驚きの、そして本日最高の収穫だった。
その日、音楽と人々の笑い声はいつまでも止むことなく、祭りは朝まで続いたのであった。