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収穫祭の日は朝から号砲の音が鳴り響き、華やかに飾り付けられた神輿が町中を練り歩いていた。
一年の豊穣を神に感謝する日ということなので、黄瀬は青峰と共に早朝ご神木へお参りをした。

『今日もご主人様と一緒にいさせてくれて、ありがとうございます』

自分の願いが叶い、そして今も叶い続けていることを、黄瀬は毎日の食事と同じように噛み締めている。


「悪ィ、待ったか」
「ううん! ちょうど今来たトコっス!」

青峰との待ち合わせは夕刻。本当は三十分ほど待ったが、それは自分の気が逸って二十分も早くに待ち合わせ場所へ到着してしまったせいだ。黄瀬が笑ってみせると、青峰は「そうか」と気まずそうに眉間に皺を寄せた。管轄外の要人警護を務めてきたという彼の額には汗が光っている。まさかここまで駆けてきたのだろうか。見れば家を出る時に着ていた軍の制服では無く、普段着じみたカーキ色の上着の下に防具を着込むという支度に変わっていた。この恰好で走ったのならば、さぞ大変だったに違いない。

「これ」
「?」

汗を拭おうかと青峰の額に手を差し伸べかけた黄瀬の前に、白い布が突き出される。――広げてみるとフードのついたマントのようだった。ちゃんと尻尾穴と三角の形の耳袋が作ってあり、先端には小さな彫金のアクセサリーまでついている。

「収穫祭の夜はみんな仮装するんだが……、その、俺はそういうの面倒臭くてほとんどやったことなかったっつーか……どうにも疎くてだな……。帰りに何か無いかっていつもの店に行ったら、そういうのは事前に言っておきなさいよ! ってすげーキレられた」
「それで、これを……?」
「これ被ってりゃあ、ちったあお前も歩きやすいだろ。今晩はな、何でもアリだ。人も獣噛も関係ねェ。何にでもなれる日なんだよ」
「何にでも……」

そういえば夏祭りの時は一人だけ違う服装で、浴衣の青峰と桃井の背を見ながら歩いた。
その更に前、はじめてふたりで歩いた時には、自分の容姿があまりにも人目を惹くことに青峰が驚いていた。
あれからさして時間も経っていないのに遥か昔のことのように思えて、黄瀬は胸に手をあてて懐かしく目を細める。

「ありがとうございます!」
「おう」
「で、ご主人様は?」
「あ?」
「ご主人様は、何かいつもと違う恰好しないんスか? ……ていうか、その服どうしたんスか? お仕事の服とも違うような……」
「ああ、これはな――」

何でも護衛をした人物の気まぐれで急遽青峰が街を案内することになり、軍服では目立つからと買い揃えたものらしい。

「だからオレの仮装はこれ」

マントを着込んだ黄瀬を真似るように、別布であつらえたグレーのフードを被ってみせた青峰は、少しだけ悪戯っぽく唇の端を持ち上げる。

「ええ〜! そんなあ!」
「文句言わねーの。それより腹減ったからなんか食おうぜ。屋台いっぱい出てんぞ」

ぐいと手を曳かれ、黄瀬は瞠目する。いやここは屋外だ。街中だ。そう言おうとするのに咽喉からは何の音も出てくれない。
街は薄い闇に包まれつつある。いよいよこれから夜本番といったところだろうか。通りには橙や紫のランタンが怪しくきらめき、あちらこちらの店先に設置された席では既に酒盛りも始まっているようだ。

「はぐれるなよ」

黄瀬を見つめる青峰の瞳は、どんな色の光に照らされていてもいつも剛い青をしている。
手を握ったり指を絡ませたりはできない。それでも今少しこのままでも良いだろうか。
導かれるままにおそるおそる歩き出した黄瀬を見て、青峰は満足そうに笑って同じように足を踏み出した。


実際街に出てみて、黄瀬は目を丸くした。そこかしこに人とも獣噛ともつかぬ異形の者が歩いている。これならば自分もその中に紛れ込める。首輪や足枷があろうと、耳や尻尾が生えていようと、誰も気に留めない。
昼間こそ夏祭りと変わらない牧歌的な日本の祭事のようであったが、夜になるとまるで別世界だ。
だがそんな中、黄瀬を呼ぶ小さな影があった。

「きー兄ちゃん? きー兄ちゃんだよね!」
「え?」
「このしっぽの色とにおいは絶対きー兄だ! ほらー! こっち大兄だし!」
「おう、お前らか」

後ろから追い駆けてたのは花街で暮らす猫の獣噛の少年少女だ。可愛らしい黒の衣装に身を包み、黄瀬の尾や脚にまとわりついてくる様子はまさに仔猫といった風情である。

「わあクロネコさんたち、こんばんはっス」

目深に被っていたフードを引き上げて黄瀬が挨拶をすると、子供たちも元気よく声をそろえて応じてくれた。

「こんばんはー!」
「今帰りなんスか?」
「そうだよ!」
「今日だけはこの時間まで遊んで来てもいいって言われたの。アリーナでね、クマさんとゴリラさんみたいな……えっと、けんとーし? さんと遊んでもらったんだあ」
「オレ、そのクマ兄と闘ったんだぜ! すごいだろ! これメダル!」

少年はそう言って首にかけた小さなメダルを見せてくれた。これも桃井が考えたものなのだろうか。そうだとしたらとても良い思い出になる。

「へえ、やるじゃねーの」

青峰が口笛を吹いて感嘆の声を上げた。

「そのうち大兄も負かせるようなつよいオトナになってやるからな!」
「おうおう、楽しみに待っててやんよ」

青峰の大きな手にごしごしと頭を撫でられ、子供たちはくすぐったそうに笑う。

「じゃあ収穫祭最後の相手は大兄だな。トリック・オア・トリート! お菓子くれなきゃイタズラするぞ!」
「わ、私も! トリック・オア・トリート!」
「おっとやっぱりそう来たか。桜井の言った通りだな」

黄瀬は何のことかわからず首を傾げる。一方青峰は、おおよそ彼に似つかわしくないカラフルな飴やクッキーを、ズボンのポケットから取り出していた。

「やべえ、走ったからクッキー割れてるわ」
「ホントだー。でもいいよ。私たちいつも半分こするから」
「でゃいにいあめもいっふぉひょーらい! んぐ、こいつのぶん!」
「お前もう食ってんのかよ。――ん? ああ、黄瀬は知らねェのか。今となっちゃ由来もわからない習慣だが、収穫祭では大人が子供に菓子をやるんだ。この飴はお前から渡してやれ。あとこっちはお前の」
「オレも?」
「俺から見りゃ子供だからな」
「えーっ!」

ポンと頭に手を置かれ、黄瀬は尾を振りながら唇を尖らせた。子供扱いは釈然としないが、青峰に撫でられることはいつだって嬉しいのである。

「オレもうコドモじゃないっスよ!」

あまり説得力の無い反論だと黄瀬自身思った。

「……それも知ってる」

けれど青峰は目を細めて、一段低く穏やかな声でそう返して来たのだった。それこそ大人の色香が漂う、恋人の声で。
そんな風にされてしまえば、もう何も言えない。

「あぅ……。あ……えと……じゃあ、イタダキマス……」

この恰好で良かった。情けない顔をしていても、これならばあまりわからないだろう。
黄瀬はお菓子の詰まった巾着を大切に鞄にしまい、宝石のようなキャンディーを少女に手渡してやる。

「どうぞっス」
「えへへ、ありがとう、きー兄ちゃん、大兄ちゃん」
「それにしても、よくオレだってわかったっスねえ」
「へっへーん。オレ、鼻はめちゃめちゃいいんだ! あとカッコイイ耳やしっぽのヤツは絶対忘れねーぜ!」
「そうなんスか? それはすごいっス!」
「きー兄ちゃんのしっぽの金色、とってもきれいだもん」

少女の言葉に、少年が「でも前とちょっと変わった?」と首をひねる。「何が?」「においだよ」「におい?」「このにおい、ええっと……」。二人はすぐに顔を見合わせ、叫んだ。
「ああ! 大兄だ!」
「大兄ちゃんのにおいだ!」

子供とはなんと純粋で目敏いのだろう。いや、この場合は鼻敏いと言うべきか。
黄瀬は一拍置いてから「えっ!」と大声を上げてのけぞった。対して青峰は「そうかあ?」と疑問顔だ。「黄瀬は黄瀬のにおいがすんだろ」。だがそのあと彼の口をついて出た、「マーキングしたわけでもあるめェし」という言葉は、黄瀬をひどく赤面させた。どうやら青峰も言ってから似たような行為には及んでいることに思い当たったのか、若干気まずそうに唇を引き結んでいる。

「あのときはまだきー兄とんがったにおいだったもんなー」
「ちょっぴり緊張してるにおいだった」
「でもそれは大兄もだったぞ」
「そうかなあ。そうかも」
「今はもうすっかりいいにおいだ!」
「いいにおいだねえ〜。あったかくって安心するにおいだよ」
「はいはいはいはい! お前らいつまでもこんなトコいっと姐ちゃんたちに怒られっぞ!」

自棄気味に手を打ち鳴らして喚く青峰が珍しかったのか、子供たちはきゃあきゃあと楽しげな叫び声を上げて逃げ惑った。なんとも微笑ましい光景である。黄瀬はこの話題が打ち切られたことに内心ほっとしつつも、嬉しく面映ゆい気持ちでそれを眺めた。
そうこうしているうちに完全に日も沈んでしまったので、青峰と黄瀬は二人を娼館まで送り届けることにした。
子供たちの案内でカボチャのランタンのトンネル、ドライフラワーのリースや同じように干した果実や穀物で作られたガーランド、毛糸で出来た蜘蛛の巣をくぐり抜け、時には通りすがりの吸血鬼や狼男に追い駆けられたかと思えば最後にはお菓子をもらったりと、それはそれは小さな大冒険だった。
青峰は少年いわく凄腕のお宝(トレジャー)ハンターなのだそうだ。恰好の話だけでは無く、目的地に着く頃には青峰の手持ちのお菓子や玩具が増えていたのだから不思議である。
すれ違う誰もが、まるで昔からの友人のように親しみをこめて挨拶を交わす優しい晩。
月明かりの下、黒い仔猫たちは青峰と黄瀬の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

   ☆

「あっ、きーちゃーん! 青峰君も! 来てくれたんだね、ありがとう〜!」

途中屋台の食事に舌鼓を打ったりゲームに興じたりしつつふたりがやって来たのは、先ほど子供たちも言っていた闘技場である。
正直青峰は気が乗らない風であったのだけれど、黄瀬が火神の試合だけでも観たいと頼んだところ、渋々ながら承諾してくれた。

「桃井サン、お疲れさまっス! すごい賑わってるっスね〜!」
「お昼の部も盛況だったんだよ〜! もう木吉さんと岡村さんが子供に大人気で!」
「なるほど。確かにクマとゴリラだな」

桃井の言葉に、青峰が噴き出す。なんでも木吉というのは熊の獣噛だそうだ。剣闘士になるのは大体が大型の肉食獣や国外に棲む稀少な獣の血を引いている者なので、納得の話ではあるが……。

「ゴリラ……っていうのは、あまり聞いたことが無いような……?」
「うーんとね、岡村さんはゴリラじゃないのよきーちゃん」

心なしか笑いを押し殺しつつの困惑声で、こめかみに人差し指を当てて唸る桃井。すると見かねた青峰が助け舟を出した。

「正確には獣噛のレジスタンスの頭領として捕まったあと、三年間ゴリラの獣噛だっつって剣闘士やらされてたんだが、つい先日ヒトだということが判明したニンゲンみたいなゴリラ……じゃねーやゴリラみたいなニンゲンだ」
「???」
「つまり普通の人だったの……。見た目で完全にゴリラの獣噛扱いだったんだけど……」
「ええっ! そんなことあっていいんスか!? そのヒトかわいそうすぎじゃないスか!」

「エンザイ! エンザイだ!」と叫ぶ黄瀬に、青峰はぼそりと「冤ゴリラだな……」と呟いた。「でも見たらわかると思うぜ」

「ちょうどこれからかがみんが闘うよ。相手岡村さんだし、二人とも観て行ってね」

何なら関係者席に――という誘いは丁重に断ったが、代わりに観やすい穴場の席を教えてもらい、青峰と黄瀬は並んでそこに座った。


「――わかってしまったっス」
「だろ」

火神の対戦相手が出てくるなり、黄瀬は真顔で呟いた。

何しろ身の丈二メートルはあろうかという大男。濃い眉と、最早髭なのだか揉み上げなのだかわからない毛を顔周りにたくわえたその姿――

「どう見てもゴリラっス……!」

二人の登場に場内がどっと沸く。岡村も相当に人気のある剣闘士のようだ。「いけー!」「頑張れよモミアゴリラー!」という声に対し、マイクを握った彼が「ゴリラじゃないって言っとるじゃろがーい!」と怒鳴る。しかし本気で嫌がっているというより、最早観客とのコミュニケーションの一環といった様子だった。
火神の方も負けてはいない。何しろ黒子に買い上げられるまで、人気実力ともにナンバーワンだった男である。
「待ってたぜ火神ー!」「もう一度お前のバトル見せてくれー!」――男達の野太い声援が響き渡る。黄瀬も頑張れと叫んだ。青峰は頭の後ろで手を組み、さも興味無さげにあくびなどしていたが、そのわりに火神を射抜く視線は鋭い。

『今日は飛び込み参加。一夜だけの復活だ! 腕はなまっちゃねーから、覚悟しろよ!』

火神の宣言とともに、戦いの火蓋は切って落とされた。


奇しくも獣噛の職であるはずの剣闘士になってしまった人間と、過去に剣闘士であった獣噛との対決は、実に白熱した。
岡村も火神も刃物は持たず、両腕に籠手をつけた格闘スタイルだ。パワーがあり身長のぶん腕も長い岡村と、その巨躯からは想像もつかない身軽さと跳躍力で相手を翻弄する火神。岡村が一発を叩き込めば、火神が回りこんで二発を返す。
黄瀬は久方ぶりの火神の戦闘に釘付けだ。互いの家へ行った際たまに手合わせはしていたが、こうした本気でのやりとりとはまた違う。
ただとにかく何をしてくるかわからない破天荒な戦い方にはいつもワクワクさせられる。型にはまらず自由で、何より彼自身が一番楽しそうだった。

(うう、でも……)

そんな火神を眺める青峰の機嫌がみるみるうちに悪くなってゆくのがわかる。困ったことに原因はわからない。おそらく本人もよくわかっていないと見える。腹は立つ。何かが自分を苛立たせる。しかしそのもとがわからないので、より一層怒りが募る。そういった様子に、黄瀬ははらはらしながら尾を丸めていた。

「青峰君。せっかくのデートを台無しにするつもりですか」
「あ? うるせーよテ……ツ……?」
「黒子……っち……?」

同時に振り返った青峰と黄瀬の眼前には、黒子がいた。と思った。そのはずだった。

「どうも、青峰君、黄瀬君。トリック・オア・トリートです」

ぺこり。と会釈する白い塊。
見た目はいわゆるシーツのオバケ。よく絵本に出てくるような、オバケといえばコレ、というような。白いシーツを人が頭から被ったような恰好だ。その点は黄瀬と似ている。
だがそこには奇妙な顔が描いてあった。一直線に近い眉と、それとほぼ平行に虚空を見つめる三白眼。心なしか中の人と通ずるものがある。

「いや誰だお前! 何だお前!」
「くくく黒子っち? 黒子っちっスよね? それは一体何の仮装なんスか?」
「古代エジプトの神様です。その名をメジェド神――と。よっこらせ」

黒子はそう言って首元にあるファスナーを開き、顔を覗かせた。そうすると顔部分がフードのようになる、優れものな衣装であった。

「さあ、お菓子を寄越すのです。火神君のぶんも」
「ハッ! 誰がやるかってんだバーカ」
「呪いますよ」
「う、や、やめろその顔で迫ってくるな。わーったやる! やるからあっち行けよ……ったく……」

まんまと青峰から菓子の詰め合わせを受け取ることに成功した黒子は、満足げな表情で黄瀬の隣に腰を下ろす。

「黒子っち〜! 火神っちはやっぱスゲーっス! 今もスターじゃないっスか!」
「そう――ですね」

試合は火神が押し始めている。時間が経つほどに彼の集中力は増しているようだった。こうなると結果は見えたも同然だ。青峰も同じように判断したのか、その体に籠もっていた力がふと抜けたのがわかる。

『そこまで! 勝者――火神大我!』

場内に怒号と歓声が吹き荒れる。ほとんどが両者の健闘をたたえるものではあったが、観客のボルテージはすっかり上がってしまったらしく、また火神の戦いぶりが見事だったのもあって、どこからともなく次の一戦を望む声が湧き起こる。「もう一回! もう一回!」
その状況を受けてか、審判を務めていた髪の短い女性が火神に何やら耳打ちをした。「じゃあ勝利者インタビューといきましょ!」――マイクが彼の手に渡される。
一体何を口にするのか、拍手や口笛が幾らか飛んだあと、会場はしんと静まり返った。

『あ〜……久々に暴れられて楽しかったぜ! 普段の闘技場のバトルと違ってさ、勝ち負けが全部じゃねーからかな? うん、スゲェ楽しかった! 岡村さんもあんがと――うございました!』

「で、せっかくのイベントだからってことで、今話が来たんだけど」と火神は続ける。

『こん中で誰かオレと闘ってみてェヤツはいるか? ヒトでも獣噛でも関係ねェ。誰か強いヤツ!』

どよめきが広がる。面白そうという期待もあるが、果たしてここで名乗りを上げるような猛者がいるだろうかという不安や疑問の方が若干勝っている雰囲気だ。火神も「だよなあ」と笑っている。
『じゃあよ。オレの希望でもいいか? リベンジ、してェヤツがいるんだ。なあ――青峰』

いつの間に見つけていたのだろう。火神は観客席の青峰をすらりと指差して牙を剥いた。

「青峰……!? 青峰が来てるのかよ!」
「御前試合の再戦じゃねーか!」
「……てかその並びにいる目力のやべーヤツ何!?」

言うまでもなく、青峰はここに来て本日最低最悪の気分だと言わんばかりの凄まじい不機嫌模様である。軋むような無言に、黄瀬は尻尾を毛羽立てて肩を竦めた。

「付き合ってられっか。行くぞ、黄瀬」
「えっ、あ、ご主人様……!」

舌打ちと共に吐き捨てるように言うと、青峰は火神に背を向ける。

『逃げんのか?』
「――――――」

ぶつり。
おそらくそれは黄瀬と黒子にだけ聞こえた音だ。既に限界ギリギリのところでこらえていた青峰の何かは、その一言であっさりと切れてしまった。

「あ゛ァ?」

肩越しに振り向いた青峰のあまりの迫力に、周囲の人々がざっと退く。

『逃げんのかっつってんだよ。折角おあつらえ向きの舞台があるんだ。やろーぜ、青峰』
「青峰君」

その言葉に触発されたかのように、黒子も青峰の前に立ち塞がる。(再びファスナーを締めて神ルックになっているので妙な威圧感があった。)

自分はどうしようどうしたら良いのだろう。黄瀬は考える。顔を上げると、青峰と目が合った。

(あ)

久方ぶりの感覚。
それはまだ出逢って間もない頃、幾度と無く見た孤独な青色だった。


(最強の人間――)


最強の獣噛を倒して来い、と青峰は送り出されたはずだ。彼はその通り火神を倒した。ただ青峰が強かっただけなのに、まるでそれを人間全ての勝利のように掲げられて――。
剣を手にする際の彼にずっと抱いていた違和感の正体は、おそらくそれだったのだ。青峰は道具になろうとしている。人のための鋼に、もしくは彼自身が目指す理想のための刃に。たとえ政に利用されたとしても、本当の望みからはかけ離れていたとしても、痛ましいほどに貫き通そうとしている。

(何を? ご主人様はどうしてそんな風に思うんスか?)

それを理解するには、まだ時間も強さも経験も足りていない。


(だけど、独りになんてさせるもんか)


「何でもアリなんでしょ?」
「?」
「何でもアリなんだって、ご主人様が言ったんス。今日は人も獣噛も関係無い、何にでもなれる日なんだって。じゃあ青峰のご主人様は?」
「………………」
「へへ〜、オレは今日とっても楽しいっス。その、前もちゃんと楽しかったけど、今日はもっともーっと楽しい! りべんじ、大成功っスよご主人様。だからご主人様もやってみたらいいと思うんス」

そこへ桃井がマイクを持って走って来る。だが青峰は差し出されたそれからはふいと顔を背け、竜が炎でも吐くかのように深く深く息を吸ってから、空を震わせるような大音声で咆哮した。

「やってやろうじゃねーか火神ィ! ただしオレとやるからには真剣勝負だ!」

黒漆の鞘から白刃を抜き放ち、青峰は走り出す。黄瀬の目には、火神の全身の毛が歓喜に波打ったのがはっきりと見えた。