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「稲刈り?」
「おう! 今度の土日は、黒子ン家の稲の刈り入れの手伝いに行くんだ」
「黒子っちの家……ってのは、ご実家のことスか?」
「そうそう」

大昔、この地域は九月が稲刈りの最盛期だったそうだが、その時よりも寒冷化した現在では、十月の初旬に行う農家が多い。
地形や水位の変化で平地も減ってしまい、更には人手も足りない。そんな過酷な環境で作物を育てる家々にとって、獣噛は大事な労働力の一つであった。

「そういえば毎年檻から派遣もしてるんだっけか」
「おう。オレそれでも何度か行ったことあったからよ。慣れてるっつーか。別に檻の奴隷じゃなくても、身元がハッキリしてる獣噛なら誰でも登録できるし、働いたらその分だけ報酬がもらえっから、小遣い稼ぎに行くヤツも多いらしいぜ。檻から一時的に住み込みで行って、そのまんまそこに買い上げられるのも結構いるんだってよ」
「へえ〜。ちょっとした体験ツアーっスね。でも確かに見ず知らずの人間にいきなり買われるよりいいかも。向こうも獣噛のことが少しはわかって安心だろうし」

言って黄瀬はピンと来た。

「どした黄瀬。耳立ったぞ」
「や。うん。黒子っちももしかしたらそうしたいっていうか、そうなって欲しいのかもなって」
「?」

つまり農作業は、人と獣噛を引き合わせるきっかけになるということだ。
火神は純粋にお手伝い≠セと思っているのだろうけれど、黒子の方はむしろ自分の家族と火神とを近づけることが目的な気がする。

「ちなみに火神っち、黒子っちのご実家には前にも?」
「ん? 行ったことあるぜ。田植えも手伝ったしよ。黒子がなんだか改まって家族にオレを紹介するもんだから、えらいキンチョーしちまった」

『お父さんお母さんおばあちゃん紹介します。こちらが火神君。僕の大切なパートナーです』――真剣な面持ちでそう宣言する黒子の姿が目に浮かぶ。火神は素直なので、きっとそんな黒子の言葉を真正面から受け止め、『黒子――く、ん? にはいつも世話になってる! です! よろしくな! ……じゃなかった、よろしくお願いします!』などと一生懸命慣れない敬語を使って挨拶したのだろう。
それはもうプロポーズ同然、そしてほぼ嫁入りなのでは? と思わないでもない。

「けどみんないい人でさ。いっぱいメシ食わせてくれて……これがまたすっげえうめーの! オレこの通りパワーとスタミナだけはあっから、また是非来てくれって言われちまった。そういや……帰りにテツヤをスエナガクお願いしますって言われたけど、スエナガクってどういう意味だ?」

繰り出された問いに、黄瀬は思わず笑う。日替わり定食の生姜焼きと白米で両頬を膨らませた火神は、「なんだよ、オレ変なこと言ったか?」と怪訝顔だ。
とそこで、聞き覚えのある甘い声に二人の耳がぴくりと揺れた。

「――じゃあこのチラシとポスター、よろしくお願いします」
「おう。リコたんから話は聞いてるからよ。なんなら桃井ちゃん自分で貼ってくか? 一番目立つところがいいだろ?」
「わあ! いいんですか? じゃあ遠慮なく……あれ? きーちゃん? かがみんも!」

長い髪をなびかせた少女は店内に視線を移すや否や二人を見つけ、手を振りながらテーブルに歩み寄って来る。青峰の幼馴染の桃井だった。

「桃井サン、こんにちはっス!」
「こんにちは! 偶然だね。今日は二人でお買い物? その途中にお昼してるって感じかな」
「ま、そんなトコだ。今日は黒子いねーぞ」
「そっかあ残念……だけど、今日は私もお仕事だから!」
「「仕事??」」

胸を張る桃井に、顔を見合わせる黄瀬と火神。桃井は担いでいた重そうなバッグから、一枚の紙を取り出した。カラフルな色使いのそれは、どうやら彼女が先ほど言っていた「チラシ」のようである。

「おお。秋の収穫祭か」
「そう!」

収穫祭は十月の末に行われる大きな祭りで、人間も獣噛も皆そろって今年一年の実りに感謝をし、歌い、踊り、お腹いっぱいごちそうを食べる特別な日だ。大昔はハロウィンと呼ばれていたらしい。

「稲刈り済んだら冬なんて目の前だもんな」
「うん。だからみんなで秋の締めくくりだね。神様や自然に今年の収穫のお礼をして、また来年もたくさんの実りがあるようにお願いするの。ね、二人とも、お家に入ってからはじめての秋祭りでしょ? 青峰君やテツ君にお願いして、あちこち連れて行ってもらったらいいよ! で、で! ついでに私たちが企画しているイベントにも参加してくれると嬉しいな!」

そう言って彼女が開いた大きなポスターには、『秋一番! 最強の男決定戦!』とあった。

「……なんだこりゃ?」

火神のしましま尻尾が「?」の字に曲がる。

「ええっと……『人間・獣噛誰でもウェルカム! 好きな武器を持ちよって戦おう! 異種族・異種格闘技戦の頂点に立つのは君だ!』――っていやいや! そんな好きな食材を持ちよってお料理しよう! みたいなノリで!? これってもしかして、もしかしなくても、腕試しっスよね」

困惑気味ながらも興味を示す黄瀬に、桃井が「きーちゃん正解!」と嬉しそうに頷いた。
一方火神は――

「火神っち?」

なんとも言えない渋面でそのポスターを睨んでいる。

「あ〜……いや悪ィ。ちょっと思い出しちまってよ……」
「思い出す?」

桃井は少し考え込む様子を見せたあと、微かに眉を寄せて「もしかして……」と口を開いた。

「御前試合のこと?」
「まー……な」

黄瀬も聞いた覚えがある。夏至祭の目玉として開催された御前試合。

「火神っちが、青峰のご主人様と戦ったっていう……?」
「そう……なんだけど。なんて言ったらいいのかな……かがみんは獣噛で一番強かったから、半ばムリヤリ引っ張り出されちゃったっていうか……」

桃井が火神の方を窺いつつ言葉を濁すと、火神は気にするなとでもいう風に何度か尾を振ってみせた。
しかしその表情には隠しようの無い怒りが滲んでいる。

「要するに最強の人間が最強の獣噛をボコるいい見世物だったってことだよ」

見世物にされること自体には慣れている、と火神は続けた。闘技場で戦う剣闘奴隷というのは、そういう仕事なんだからしょうがない、とも。

「けどアレはそういうのとは違う。あんなん一対一じゃねえ。ニンゲン対獣噛だ。闘技場の――獣噛同士のバトルなんかとは全然違った。――オレはヒトに負けるために選ばれて……アイツはオレに――獣噛に勝つために選ばれた」

「だから絶対負けたくなかったのに」。吼える火神に対し、黄瀬は無言で視線を自分の手元に落とした。
なるほど。ありがちといえばありがちなこと。火神は「人が獣噛を屈服させる」という象徴的なシーンを作るための生け贄に選ばれてしまったのだ。
 そしてその執行人として、青峰が腕を揮った。
 火神の歯痒さもわかる。が、黄瀬としてはその時の青峰の心中の方が気にかかった。――気にかかるというより、もっと何か色々なものが混ざった、憤りに近い感情がある。青峰の強さに甘えてそういう役割を押し付ける世の中にも、それを一人で請け負ってしまう青峰にも、どちらに対しても。

「あっ、あのねっ! だから、っていうか……、種族がどうとかじゃなく、お祭りをしたいの。どっちが勝っても恨みっこ無し。みんなが楽しくて夢中になれる、ガチンコ対決して欲しいなって!」

漂いかけた重たい空気を振り払うように明るく言って手を広げてみせた桃井は、こう続けた。

「もちろん、闘技場の人たちや教育係のみんなにもお手伝いをお願いしているので、安心安全です! ……傷付け合うとか、喧嘩とか、そういうのじゃなくて。強いって怖いことじゃない、人には人の、獣噛には獣噛の強さがあって……でも想う気持ちやその強さに種族とかは関係無くて……。うまく言えないんだけど、楽しかった、今日ここに居て良かったって、一瞬でいいからそんな気持ちや時間を共有できたら――私は嬉しい」
「………………」
「――――――」
「ま、やってみてもいーんじゃねーか?」
「うんうん。参加……は難しいかもっスけど、きっと観に行くっスよ! うまく行くように、オレも応援するっス!」
「二人とも……。ありがとう! そうだ、ここだけの話、なんと優勝者にはね〜、豪華秋の味覚セットをプレゼントする予定なの! 商店街の人たちがお肉や野菜を提供してくれる予定で……あの……かがみん?」

その時の火神の表情といったら、まるでお気に入りのねずみの玩具を発見した猫のようだった。

   ☆

「いや〜火神っちの瞳孔、めっちゃ開いてたっス。カッ! てなってた〜」
「食い物に釣られすぎだろアイツ。テツが心配するワケだ」

青峰は呆れ顔で溜め息を吐いたあと、少し落ち着かない様子で視線を泳がせた。

「――それで?」
「? それで?」
「……火神は出るのかよ」
「ああ! さあ……どうっスかね。黒子っちと相談してみるって言ってたっスけど……。あの感じだと参加しそうな気が」

何しろ火神も元剣闘士。血気盛んな若者であるし、純粋に腕っぷしの強さを競う大会となれば惹かれるものもあるだろう。無論賞品のことは大きいが、やはり強い奴と仕合うのが好きなのだ。武術や剣術をたしなむ者ならば誰もが持つであろうその欲は、黄瀬にもよくよく覚えがある。
だがそこへ来ると目の前にいる人はどうなのか――。

「えと、ご主人様は、」
「出ない」
「スよねー……」
「祭りには仕事もあるし行くけどな。はー……ったくなんでオレをわざわざ指名しやがるんだか……」

半分独り言のように呟いた青峰は、頭痛を抑えるように眉間を揉みながら深く嘆息したが、すぐに「安心しろ」と黄瀬の方に向き直った。

「夕方頃には力づくでも終わらせる。そうしたら二人でぶらぶらして、メシ食おうぜ。その……夏祭りのリベンジしてェし」
「りべんじ」

別にその言葉の意味がわからなかったわけでは無い。でもそれを呑み込むために思わず反芻してしまったのだ。呆けた顔の黄瀬を前にして、ばつが悪そうに頬を掻いた主人は、「あん時はお前を酷い目に遭わせちまったから、やり直しだ」――先ほどより一段低く小さな声でそう言った。

「それよりこのアジフライうんめーな」
「――そ、そっスよね!? 景虎さんが今朝釣って来たらしいんス! お刺身でもいけるくらい新鮮だからってコッソリ分けてくれて」

照れ臭さからかすぐに逸らされた話題を無理に追うことはせず、黄瀬は尾を振り身を乗り出して応じる。青峰が齧るたび、揚げたてアツアツのフライは小気味良い音を立て、咽喉を通って彼の胃袋へ消えて行く。その独特の音は何故かとても秋に似合うように思えた。たとえば落ち葉を踏みしめる音。実った稲穂が触れ合う音。木枯らしの寒さに服を掻き寄せた時の衣擦れの音。

「そうか。ホラ、お前も冷めねェうちにさっさと食え」

こんな風に穏やかに話す時の青峰の声は、優しくてどこか切なくなる。黄瀬はこくんと頷いて箸をとり、主と向かい合っての食事を始めた。
青峰はいつも通り出された物を綺麗に平らげ、黄瀬が食べる様子を最後まで眺めていた。その後しばらくサンルームのソファに寝転がっていたが、やがておもむろに身を起こすと、道場へ行って来ると言い残して出て行った。珍しいこともあるものだ。もう今の季節の道場は、夜になると相当冷え込むというのに。

(タオルと上着を持って行った方がいいかな)

むしろ鍛錬をするなら自分も……と言いたい黄瀬だったが、食器の後片付けや風呂の支度もある。それに、おそらく今行っては邪魔になる。あれはそういう雰囲気だった。別に青峰の機嫌が悪かったわけでは無い。ただ、今は一人の、彼だけの時間ということだ。
だから今は待とう。黄瀬はよしと気合を入れ直し、流しに向かった。
そこでふと、桃井と別れた帰り道、火神に投げかけられた問いを思い出す。


『なあ黄瀬、もしホントにニンゲンと獣噛が争いを始めたらどうする?』


夏以降、北の地を根城にする獣噛のレジスタンスが、本格的にこの土地へ攻め込もうとしているという不穏な噂を、黄瀬も何度か耳にしていた。
今回の桃井の企画は少なからずそれと関係しているのだろうし、青峰が外出の際は護身用の剣を忘れぬようにと前より念入りに言うようになったのも、もしかしたらそのせいかもしれない。

『オレはさ、桃井の言うこと……正直余計なお世話だってちょっと思った』
『オレも。……少しだけ』
『多分、黒子に逢う前のオレだったら、なんておめでてーヤツなんだろうって、どうせやるだけ無駄なのに何やってんだって思ってただろうな』

生まれこそこの国であるが、火神が育ったのは遠く海の向こうの国だそうだ。
それが十数年ぶりにこちらへ戻って来る際、乗っていた船が嵐に遭い、父親とはぐれて瀕死の体で海岸に流れ着いたところを保護(ほかく)された。
つまり火神は黒子と出逢うまで、ほとんど異国であるこの日本で、たったひとり、生きる為に過酷な剣闘奴隷をやっていたのだ。
黄瀬が彼と親しくなったのも、そういう背景があってのことかもしれない。
共に生粋の獣噛であり、どれほど人に虐げられようとも自分の身ひとつを武器に生き抜いてきた。
そんな二人からしてみれば、桃井の語った希望は、夜眠りに就いたあとに現れ陽の光と共に消え失せる夢のようだった。

『だけど今は黒子がいるから』
『うん』

黄瀬も青峰の顔を思い浮かべながら、宵闇の空に輝き始めた星を見上げた。

『わかりあえることもあるんじゃねーかなって、思えるようになったんだ』
『うん。――オレもっス』


玄関から外を覗くと道場の小さな灯かりがぼんやりと見える。
硝子越しに灯かりを指先でなぞる。小さな光。そこに青峰がいる。その美しい光を、黄瀬はしばらくの間見つめ続けた。するといつしか灯は消えて、青峰は館に戻って来た。